25歳の誕生日、ロウソクの火を吹き消しながら「もう『若い子』じゃないんだな」と思った。あらゆる不出来を帳消しにできる若さの特権が、手の中で溶けはじめた気がした。
ミニスカートを履く権利。似合わなくても髪を明るくする権利。キャラクターもののスマホケースを持つ権利。これから少しずつ、そういう自由が奪われていくようで寂しかった。でも、その時のわたしは、同時に安堵してもいた。『若い子』のステージで踊り続けることに、たぶん疲れていたのだと思う。
『若い子』と『ババア』のはざまで
「まだ若いんだから◯◯して」「もう若くないんだから☓☓はやめて」を同時に言われるのがアラサーである。ある集団では若手としての元気の良さを、あるコミュニティでは中堅としての落ち着きを求められる。
それでも、人から言われる分にはまだいい。わたしの息苦しさはほとんど、自分自身の決めつけに由来していた。「これをしていいのは若い子だけ」「この年であれをするのはナシ」。そういうルールみたいなものが、自分の中にいくつもあったのだ。それを破るとどうなるか。『イタいおばさん』になるのである。
当時のわたしは『イタいおばさん』になることを、何故か極端に恐れていた。誰かに『イタいおばさん』として撃たれる前に、自分から『若い子』のステージを降りねばならない気がしていた。
『おばさん』『ババア』と『イタいおばさん』は同じなようで全然違う。前者は名乗ることで、「でも、イタくはないですよ」と世間に予防線を張っているのだと思う。
ネット上では20歳、下手すると10代後半からババアを自称する女の子も珍しくない。彼女たちも、もしかしたら同じように妙な緊迫感を持っているのかもしれない。ババア宣言で楽になる気持ちは本当によく分かる。でも、「ババアだから◯◯できない」と口に出すことは、年上への威嚇であり、年下への呪いになってしまう。
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