すべてがめんどくさい日に
可もなく不可もない日常の中で、「すべてがめんどくさい」と思うことがある。
キーボードを叩きながら、野菜を刻みながら、柔軟剤を選びながら。「すべてがめんどくさい」と思いながらも、わたしはキーボードを叩き続け、野菜を刻み続け、柔軟剤をカゴに放り込む。それはいちいち手を止めていられないほど頻繁に、繰り返しわたしの頭をよぎる。
わたしに選ばせないでほしい
『恋と嘘』という漫画を知っているだろうか。マンガボックスの人気作品で、アニメや実写映画化もされている。
『超・少子化対策基本法(通称:ゆかり法)により、満16歳以上の少年少女は自由恋愛が禁止となり、「国が国民の遺伝子情報に基づいて決めた」最良の伴侶と恋愛をして結婚しなければならない(wikipedeaより引用)』
という設定のもと、主人公の少年が、初恋の人と国に決められた結婚相手の間で葛藤していく物語だ。
最初は単純に、面白そうだからアニメを観ていた。けれど、「すべてがめんどくさい」が訪れた時、作中の登場人物たちを心底羨ましく思った。最良の伴侶を国が選んでくれるだなんて、なんて気が楽なんだろうか。
現在、誰もが結婚の枠にとらわれずに生きていけるようになった(なりつつある)ことは、本当に素晴らしいと思う。けれど、その風潮はわたしたちに新たな選択を強いている。「結婚するか、しないか」だ。
これまで当たり前に「する」ものと決まっていて、その上で「誰と」「いつ」と悩めばよかったはずなのに、根本がゆらぎはじめている。
『恋と嘘』の世界では、国が決めた相手との結婚がほぼ義務付けられている。この時点で、「結婚するか、しないか」と「誰と」が決まってしまっている。あとはタイミングだが、そこまで悩みはしないだろう。結婚はもう決定事項なのだから、ふたりの都合のよい時期にすればいい。
一方で、わたしたちが頭を悩ませる「いつ」は、「誰と」と水面下で繋がっている。本当にこの人でいいのか。もっと良い人がいるんじゃないか。でも、別れて理想の相手を探していたら、適齢期を逃すのではないか……といった形で。
結婚だけではなく、今日のメイクからキャリアの積み方まで、人生は選択の連続だ。選択すれば結果が生まれ、責任は自分でとらなければいけない。選択は重労働だ。特に結婚という大きな選択は、その後の人生を大きく変えてしまうかもしれない。
そんな重要な選択を、わたしにさせないでほしいのだ。誰かが決めてくれさえすれば、文句は言うかもしれないけれど、決められた道をそれなり頑張って進んでいけるのに、と思うのだ。
- 1
- 2