アウティング事件から考える、「孤独」の先にみつけた自分の居場所

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 ゲイの大学院生が、友人にアウティングをされたショックで亡くなったという事件が今年の夏に起こりました。

 人それぞれ痛みの感じ方は違いますし、人が自らの命を絶つ権利について、私はあると思っているので仕方がないことなんでしょうけど、とても哀しく切ない選択だったなと思います。
学校のカウンセラーに相談したのに良い対応を得られなかった、友人達の反応が冷たかった、などいろいろ原因があったようですね。

 大学時代から女装をはじめた私にはそんな悩みはなかったと思われがちですが、私も自分のセクシャリティを受け入れるのにとても時間がかかりました。
だから、その方の気持ちがほんの少しわかるような気がするのです。

エリートのレール

 私も彼と同じく勉強ができる子でした。
勉強ができて良い学校に入ると、エリートなのかもという妙な自意識が生まれます。

 エリートの私が性的少数者であることをネタに、将来バカにされるのではないか?
将来的に結婚しないと、社会から一人前に見られないのではないか?

 今となっては視野の狭さと思い込みに笑ってしまうところですが、19歳の大学生だった私は、真剣にそういうことを考えていました。
ちょうどその頃、父親が危篤になり、跡継ぎとか、相続とか、借金の連帯保証人など、家族やこれから先のことを考える時期も重なりました。

 慶應義塾大学という華やかな環境にも馴染めず、ノイローゼになってしまい、私は勝手に学校を一年休学してしまいました。
逃げたかったのです、敷かれたレールから離れてみたかったのです。

 一年離れている間、私が何をやっていたかというと、塾講師のバイトと、後はひたすら活字を追っていました。
その時期に橋本治さんの著作をたくさん読み、自分の頭で考えることを学びました。
友達もいなく、ひたすら喫茶店で本や雑誌を読み、一人道を外れても生きていくための理論武装をしていた時期でした。

 私は孤独を選びました。
友達にも言わず、一人で考えて動きたかったからです。
自分で自分をちゃんと説明できたり、理解できないと次に進めないと思ったからです。