おばさんの性欲は気持ち悪いのか?『チャタレー夫人の恋人』で描かれる、女性の性欲の肯定

by Bálint Szabó

読書、旅行、映画(あるいは美術)鑑賞。私の趣味は長年その三本柱であったのだが、コロナ禍により海外旅行を封鎖され、そこに舞い込んできた新たな趣味が、二次創作だった――という話は、この連載でも何回かしている。現代の二次創作の主流であるカップリング小説(攻×受の関係性を描く小説)を私もまた書いているわけだが、とらのあなとpixivを往復する生活の中でふと、二次創作を楽しむ女オタクに対して、こんな批判にぶつかることもある。ぼかすとニュアンスがわからなくなるので率直に書くが、その批判とはすなわち、「おばさんが性欲丸出しで気持ち悪い」といったようなものだ。

この類の批判には、頷かざるを得ない気持ちと反論したい気持ちが4:6くらいである。まず、二次創作とは基本的に隠れてこっそりやるものであり、興味ない人の視界に入ってしまうことは極力避けなければならない。純粋に原作を楽しみたい人が、何かの拍子にふとキャラクターA×Bのエロマンガに遭遇してしまうことは不幸以外の何者でもなく、そういったときに「気持ち悪い」という感想を持たれてしまうのはまあ、しょうがないよな〜と思う。しかし、マナーとルールを守った範囲でひっそり行なっている活動ですら根本から否定されてしまうと、「ちょっと待って!」と反論したい気持ちがむくむくと湧いてくるのだ。

そんな前置きをしつつ、今回はD・H・ロレンスの『チャタレー夫人の恋人(光文社古典新訳文庫)』について語らせてもらいたい。1928年に私家版が出版されたこの小説は、イギリスで1960年に無修正版が出たときには告訴され、また日本でも1950年に出たものが警視庁に指摘され発禁処分となっている。度々裁判になってしまったのは、小説内にかなり濃厚な(といってももちろん、現代人の感覚からするとたいしたことはない)性描写が含まれており、当時の人々に猥褻文書として捉えられてしまったからだ。

セックスシーンは濃厚だが、ポルノではない

『チャタレー夫人の恋人』の主人公であるコニーは、第一次世界大戦で負傷し、下半身付随になってしまった夫のクリフォード・チャタレーと暮らしている。二人の間では性の関係が望めないため、夫はコニーに、他の男性と関係を持ち自分たちの間に跡継ぎを作るよう勧める。ただし、関係を持つ男性はそれなりの社会階級に属する由緒正しい人物でなければならない。とんでもない提案をされ当然コニーは戸惑うが、そんな中で、チャタレー家の領地で森番をしているオリバー・メラーズに徐々に惹かれていき、やがて関係を持つまでになる。と、いうのが小説のだいたいのあらすじである。現代人の感覚からするとさすがに猥褻文書だとまでは思わないが、コニーとメラーズのセックスシーンは確かに、なかなか濃厚だ。

ただし、この作品が性描写を中心に描かれたポルノ小説であるかというと、そんなことはないと私は思う。セックスがなければ愛し合えないのかとか、自由とは何かとか、階級とは何かとか、『チャタレー夫人の恋人』を読みながら、様々な問題について考えを巡らす人がほとんどのはずだ。当時の感覚の中で描かれた小説なので残念ながら差別表現などはあるけれど、全体を通して文章も美しい。コニーとメラーズが裸で横殴りの雨の中に飛び出していくシーンが、私の中ではとても印象に残っている。