大人になると特別な気持ちも薄れるような
私がこっそり好きだったのは小学校の年度末です。もうすぐ春休みになるし、忘れ物や友人関係に細かく神経を尖らせていた日々を振り返ると、きちんと一年にまとまっていることがわかって安心します。
なんといっても、年度末は大人たちが忙しそうなので、職員室がばたついていて、放って置かれている感じが心地よかったのです。次の学年の教室にお引越しするために、一旦、教室が何もなくなってきれいになるところも。
先生たちもだんだんと上の空になって、授業中によくわからない自由時間ができて、何をするでもなく時間が過ぎるのを待っていました。先生にも授業をする気力がないけど、ほかのクラスよりも早く帰すと角が立つので引き留められていることが、みんなわかっていました。
同級生たちのはしゃぐ声を聞きながら机に頰をつけて、おっとりと眩しい窓の外を眺めます。いつの間にか冬の澄んだ空気に、春のうららかさが混ざっていました。誰が誰に気を遣っているのかわからないまま、大勢で時間が過ぎるのを待っている奇妙な時間。
随分、遠いところまで来た気がします。みんなでおせちを食べた家はもうなくて、いつからか誰も集まらなくなりました。もう大人なので、クリスマスも、お正月も、自分の好きに過ごしていいんだと気がついた時から、選択肢は増えたけれど特別な気持ちも薄れてしまったように感じます。なんでも好きにできるって、とても愉快で、時々とっても寂しいことです。
年度末に向けて書類を整理しながら、ふとあの男の子はバイリンガルになったのか、犬はまだおじさんにくっついているのか気になりました。
Text/姫乃たま
次回は<深いところまであなたと一緒に降りていく。無意識の繋がり方を学んで>です。
昏睡状態の人とコミュニケーションをとるためのメソッド(コーマワーク)を学ぶ講座に参加することになった姫乃さん。始めに行った昏睡状態の疑似体で不思議な体験をしたそうです。その体験と、そこで彼女が感じたこととは。