山に登るなんて思ってなかった…はずが気付けばまた登りたくなっている

永遠なるものたち012
「登山」

 すごい朝焼けを見ました。遠くの駅に向かう電車の中で。オレンジがかった赤い空が、マンションや電柱に一瞬ずつ遮られながら、大きな広い川にずっとずっと反射して、すべてが窓いっぱいにぎらぎらしていました。
 いつも私が眠っている間、世界はこんなにもきれいなことになっているのかと思うと、私の人生まですごくいいものみたいでした。

 長く電車に揺られて、初めての駅に着く頃、空は白んで、朝になっていました。山に囲まれたバス停のベンチに腰をおろすと、腰から頭の後ろまである大きなリュックがどさっと音を立てます。

 山に登るなんて思ってなかった。
何度も思ったことをもう一度思いました。まさか自分が山登りのために休日をつくる人間になるなんて。
 昔から体を動かすのは苦手なのです。遠足の登山なんてただただ億劫で、前を歩いている子のスニーカーと地面をじっと見つめながら、ぞろぞろ歩いて終わりでした。

 リュックから温かいペットボトルを取り出して、両手で祈るように転がしながら、どこまでも広がる山と、寒さに背を丸めて改札へ向かうスーツの人たちを眺めています。

 人間がこうして、自然の中のほんの一部に生きているなんて変な感じです。東京で生きていると、本当は大自然なんてないものに思えます。
 生まれて初めて見るものは、いつでもインターネットからで、多くの写真や映像は現実よりもリアルです。自然も写真や映像の中にあって、まるで世界がコンクリートとインターネットと人間だけで構成されているような気分になります。
 それは私に全能感と閉塞感をもたらしました。足を運んだことがない場所のこともすべて、見て、知ることができるけれど、もうそれで世界が全部だと言われているような感覚。どこへでも行けるような、どこへも行けていないような、あの感じ。

 それが先日、友人たちに連れられて行った山は、私にとって画期的なできごとになりました。
 膝が笑うほどの疲労と、身体中の水分が入れ替わったかと思うくらいの汗。体を動かせば動かすほど、ちっぽけな肉体の限界を感じて、自分が等身大に戻っていくようでした。
 気のおけない友人たちと、くっついたり、はなれたり、頂上に向かって山道に一歩ずつ全身で踏み出していくのも充足感があります。

 草木が生い茂る道はどこまでも続くように思われましたが、突然視界がひらけて、目の前に滝が現れました。その下にはつやつやした大きな岩たちが、休んでくださいとばかりに鎮座していて、汗だくの素足を水に浸しながら、世界でいちばんおいしいおにぎりを食べたのです。岩に寝そべると、大人のお腹の上に乗せてもらった赤ん坊のように、大らかで頑丈な山に甘えている自分を感じました。閉じた瞼に柔らかい日差しが降り注いで、白くみえます。

 それから私は、山に登るようになりました。