知ってしまった女のそれからの生き方

 先日亡くなったタレントの故・川島なお美さんは、生前、次のように語っていたそうだ。

「私が年をとっても若いころと同じようにパーティの主役でいられるのはどうしてだと思う? ワインの資格をとったからよ」

 若い頃は当然、ワインの知識なんて下手にないほうがちやほやされるし、むしろ年上の男性のワインうんちくを根気強く聞く能力のほうが重要である。ところが、若い時期が過ぎ去って、無知が武器として通用しなくなると、川島さんは田崎真也のワインスクールに10年通って豊富なワインの知識を身につけ、ワインエキスパートの資格を取得。価値ある情報を周囲の人に「与える」側に回ったのだ。その結果、年を取っても主役でいられると語る。
美人で、聡明で、人一倍与えられ続けてきただろうに、いざとなったらそこに固執しない彼女の潔さ、なんてかっこいい、と思った。

与えられるもので生きていくのは不自由

 もらったもので生きていれば得だし楽、私たちはそんな風に思いがちだ。けれどもその実、受身でいるというのは大事なところを他人に委ねているということなのだ。相手がやめれば供給は止まる。自分でコントロールできないことに生活と、自分の価値をかけるのには、あまりにもリスクがある。

 だからこそ、やっぱり与えられるだけのお子さまは、いつか卒業しなきゃいけないのだ。そりゃもらったら嬉しいけど、与えられなくても基本的には生きていける。むしろ必要なときには喜んで与える側の人間にもなれる、そんな年長者にならなきゃいけない。

 事実、私の周りの30代半ばの女性たちは、賢い人ほど意識的に始めている。自分がかつて年上の男性にしてもらったように、後輩に高級な食事を体験させてあげたり、仕事やプライベートでの人脈を広げてあげたり。
そうすることで彼女たちは、ただ与えられるだけの時代を卒業し、人を喜ばせる、育てる、豊かにする自分としての、新しい価値を手にしようとしているのだ。何しろ与える喜びは、与えられて喜びを得るより自分でコントロールしやすい。情けは人のためならずと言うけれど、与えて、喜ばれることは、ときに人から与えられる以上に、自分を潤してくれる。

 40歳になった綾は、それまで積み上げた経験によって、本来、立派に与えることのできる女性になっていたはずなのである。なのにあんな風に不幸で終わった、その背景には、……やっぱり少し書き手の悪意を感じるけれども邪推を続けても仕方がないのでまあそれは抜きにして、綾はどこかのタイミングで、受身を卒業しなければならなかった。それが正しいからとか、仕方なしにとかでなく、年齢とともに自分を、より自由にしていくために、そうすべきだったのだろうと思うのだ。

Text/紫原明子

【紫原明子 プロフィール】
 エッセイスト
1982年福岡県生。2児を育てるシングルマザー。個人ブログ『手の中で膨らむ』が話題となり執筆活動を本格化。『家族無計画』『りこんのこども』(「cakes」Webマガジン)、『世界は一人の女を受け止められる』(「SOLO」Webマガジン)を好評連載中。