なりたい自分に近づくための「女装」という手段が、ビジネスに変わった

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 今年私は女装20周年を迎えました。
先週は私が女装を始めたきっかけについて語りました。
今週は女装として走り始めた私が何故20年も続けたのかについて軽く振り返ります。

 さて、余興のために、面白い人と近づくために、手段として始めた私の女装。
自分が面白い人になったら辞めようと思っていた女装を20年も続けたのは、色々な出会いがあったからです。
まず、私に女装のチャンスを与えてくれたブルボンヌさん。
この人はとても頭の回転が早く、物事を構造的に捉え、
その構造を入れ替えたり、誇張したりで大きく構図を変える力を持った人です。
まさにCampの申し子。

 そんなブルボンヌさんがプロデュースをしたお店の名前がCampを形容詞にしたCampy!bar。 私が20年間女装を続けたのは、この人から教わったCampという概念をもっと理解したいというのもあると思います。
今もお店を手伝っているのもそういうご縁があるからです。

 あとは女装の同級生達。
私は昭和50年生まれなのですが、同い年の女装に
ミッツ・マングローブさん、バビ江ノビッチさん、ダイアナ・エクストラバガンザさん
という人達がいます。
みんなショウもおしゃべりも上手で、この人達に負けたくない、バカにされたくないという気持ちでうっかり女装を続けてしまいました。
おこがましい言い方ですが、よきライバルとして私は見続けていました。

 後はいち早くメジャーな世界に飛び出したマツコ・デラックスさん、ナジャ・グランディーバさん。
マツコさんはいつも厳しく優しく見ていてくれて、ナジャさんは1歳年上ですが若い頃から大阪のスターで、東京に来る時は「東京にも面白い女装が居る」と思わせたくて、凄く頑張ってショウを作った覚えがあります。

 後はブルボンヌさんの同じグループだった
エスムラルダさん、ジュヌヴィエーヴさん、マルガリータさん、サセコさん、バブリーナさん、
みんな女装に真面目で、いつも協力しあってイベントをしました。
特に始めたばかりの時に、母親にゲイバレ、女装バレをして勘当されて、家を追い出された私を居候させてくれたジュヌヴィエーヴさんには一方ならぬご恩があります。

 他にも東京のドラァグクイーンの華やかさを教えてくれたマーガレットさん、Hossyさん。いつもいつもお洒落なセンスと心意気を勝手に勉強させてもらいました。
歌の先輩のギャランティーク和恵さん、メイリー・ムーさん、私に歌う女装の素晴らしさを教えてくれました。

 最後に女装仲間の中で一番仲が良いドリュー・バリネコさん
一番ふざけて意地悪なのに、一番真面目で、いつもお互いにダメ出ししあったり、
検証したりしてきました。他の嫌いな女装の悪口でも盛り上がりました。