自分の優位性から降りる覚悟

宗教だってそう、人種だってそう。
イスラムの方々の問題や外国人観光客の増加で、今まで島国ニッポンの中ではマイノリティーだった人達との接点が急速に増えています。

多様性を受け入れるということは、上位の概念がその下位にあるものを受け入れてやるということではなく、自らの優位と考えていたことの梯子を外してあらゆることとフラットな関係になることを意味しています。
これはつまり、革命的なことをはじめようということなんです。

そして、多様性というなら自分の天敵や受け入れがたいものも認めなくてはならないのです。
もしかしたら自分が正義で悪だと思っていたことが、他の価値観から見たら自分が悪で、周りが正義だったってことがあり得る世界なんです。

本当にそれを受け入れる覚悟はできてるのでしょうか?

みんな寛容になって、お互いに刺激を与えたり、受けたり、スルーしたりしながら、新しい価値観やルールを作っていくのが多様性で、そんなことが楽しそうだから、私は賛成なんですが、受け入れる方も受け入れられる方も自分勝手な多様性が多いような気がして、それが最近とても気にかかるのです。

多様性をより深く理解した経験

ちなみに私は自分の親から自分の現状を受け入れられていません。
それはそれで仕方ないと思っていますし、それも多様性の一環だから、無理に受け入れさせることもないのかと諦めつつ、育ててくれた恩義も感じつつ、複雑な状態です。
みんながみんなハッピーなカミングアウトばかりではないのです。

それでも毎年の母の日と誕生日にはプレゼントを贈り、感謝の念を送り続けています。また手伝いが必要な時は帰っています。
断絶はしていません。

分かり合えないことも受け入れて生きる。
それも多様性の一環だと私は思っています。

30代の頃までは辛いし悲しいと思った日々もありましたが、最近はこのような状態も良い経験だと思っています。
受け入れさせる側だけの理論だけでは考えが足りないことに気付かされたからです。
それによって私の多様性についての思考が深まりました。

多様性は自分が受け入れ難い事実も、捉え方を変えて受け入れることを訓練させる機会でもあるのです。
私はそんなレッスンを経た方が素敵なレディーになれると信じています。

Text/肉乃小路ニクヨ

初出:2016.05.10