歌舞伎と宝塚

たとえば歌舞伎というのはオールオッサンのキャストで行われています。
たとえば宝塚というのはオールネエサンのキャストで行われています。
両方ともオールオッサン、オールネエサンで男女入り乱れた物語を演じていたりします。
男性が女役、女性が男役というのはある意味、嘘です。
でも、嘘だからできる本物の男女には出来ない遊びというのが
両方の舞台には溢れています。

大げさな芝居というのは異性が演じるからこそ成立して、
見ている側も楽しんで、その世界で遊べるのです。
たとえば歌舞伎の女形を女性が、
宝塚の男役を男性が演じてみても違和感があります。
演じ手と観客が一緒になって、嘘の世界を作っていって
その世界で遊ぶというのが、歌舞伎の良さ、宝塚の良さのような気がします。

男が演じるから見える女の良さ、
女が演じるから見える男の良さ、
その演じられた世界を通じて、
改めて男とは、女とは、ということを考えるのが
真理に近づくアプローチになると思うのです。

嘘をついてわかること

私が女装をするのも真理へのアプローチかもしれません。
女装で女性を演じるたびに、男であるということを思い知らされますし、
女装をしていないおっさんの時も女性への研究心がすごく高まります。
男を知り、女を知ることで、人間を知ることになるような気がしてなりません。

女装をやっていくうちに気がつくのですが、
世の中には男成分、女成分がそれぞれ100%の人なんていないのです。
みんな男と女の間で育てられて、それぞれの良いなと思うことを
取り入れて成長をしていくからです。

これも女装を始めたからわかった真理です。
特に男の子の背中にはそのお母さん、女の子の背中にはそのお父さんが
私には透けて見えるような気がします。
また、自分が嘘をついてみないと、人の嘘がわかりません。
嘘がわからないつまらない人間はいつまでも騙され続けて、
つまらない人生を歩かされるというのも真実です。

人への理解力を上げるためにも、美しい嘘、
楽しい嘘をつけるというのは大人の基本のような気がします。

大人の嘘の仁義

でも、ついてはいけない嘘が一つあります。
それは自分を騙す嘘です。人を騙すつもりでいたものが
いつか自分も騙すようになることがあります。

私も昔、身体の調子が悪いのに、
出世したくて騙し騙し働き続けたら、大病を患い、
結果的に自分を苦しめ、周りにも迷惑をかけるということがありました。
自分を騙しても良いことなんかありません。
自分も周りも楽しく、幸せにするのが
大人の嘘の仁義だと思います。
ふふふ。

Text/肉乃小路ニクヨ

初出:2015.12.15