耐えがたいのは自分が「平凡でぱっとしない人間」だと知ること――『パチンコ』が描く意味

by wal_172619

家族、恋人、親しい友人などと喧嘩になったとき、つい感情にまかせて口調がきつくなりすぎてしまい、あとから後悔することってないだろうか。もともとの口が悪いせいか、私はそれで反省することがしょっちゅうある。親しい間柄だからこそ、相手が何を言われるのが嫌かわかっていて、あえてそれを言ってしまったりもするのだ。

で、こういう喧嘩がのちに建設的な議論に結びつくことってあんまりないし、カチンときたときこそグッとこらえて心にセルフ打ち水をし、話し合いはできる限り冷静にすべきだと、私は長年思っていたのだが……最近読んだ1冊の本によって、何事も一長一短というか、不毛な口論にもそれはそれで意味はあるかもしれない、と考え直すに至った。その1冊の本とは、全米図書賞の最終候補に選出され、ベストセラーとなったミン・ジン・リーの『パチンコ』である。

著者のミン・ジン・リーは、韓国系アメリカ人。タイトルの『パチンコ』とはもちろん、あの騒々しいパチンコ店のことだ。小説の舞台は、戦前から1989年までの日本。韓国の影島(ヨンド)から移住してきた在日コリアンの物語が、4世代にわたって語られていく。上下巻で計700ページ超えというボリュームの大作だが、グイグイ読めるので長さはまったく感じない。

今回はこの『パチンコ』を、「在日コリアンへの差別」という物語のメインテーマとはちょっと離れた視点から語らせてほしい。この小説、「抑圧されているマイノリティの話」として捉えているだけでは、個人的にはちょっともったいない気がする。

成功税、失敗税、平凡税

物語は、韓国で下宿屋を営む夫婦のもとに生まれた娘・ソンジャが、日本で貿易の仕事をしている妻子ある男・ハンスの子供を妊娠してしまうところから本格的に始まる。ハンスに妻子がいることを知らされていなかったソンジャは落胆するが、彼女とお腹の子供を救うためという聖人のような理由で、牧師イサクがソンジャに結婚を申し出てくれる。夫婦となった2人はイサクの兄夫婦が暮らす大阪に移住するものの、時代は戦争へと向かっていき、一家は過酷な生活を余儀なくされる……と、いうのが『パチンコ』の大まかなあらすじである。

メインテーマとなる在日コリアンへの抑圧のほか、女性への抑圧、同性愛者への抑圧、障害者への抑圧と、さまざまなマイノリティが描かれる『パチンコ』は、今の世の中に強く求められている物語なのだろう。ただ先ほど言ったように、これを「抑圧されている側の物語」とだけ考えるのは、ちょっと表面的すぎると個人的には思う。というのも、「抑圧している側」である日本人や金持ちヤクザのセリフのほうに、私はむしろハッとすることが多かったのだ。

たとえばソンジャの孫にあたるソロモンは、就職した外資系銀行の上司カズに「成功税、失敗税、平凡税」の話をされる。成功税は、成功した人が、同じくらいの努力をしたのにそこまで成功できなかった人に嫉妬される形で払う税。失敗税は、ルールに乗ることができず人生に失敗した人が、その他大勢に搾取される形で払う税。そして平凡税は、「ぱっとしない人間だってことを周囲の全員に知られるという形で課される」税。

一見「失敗税」がいちばん嫌だし重い気がするが、カズは「いちばん重いのは平凡税だ」と言う。「抑圧されているマイノリティ」が主題である『パチンコ』で、「でも、いちばん耐えがたいのは自分が平凡でぱっとしない人間であると知ること」という話が挿入されることの意味を、つい考えてしまう。