お悩みですか?いま深刻な「いつ、どこでオナニーをするか問題」

大泉りかコラム

世界中を襲っているコロナ禍。ワクチンも特効薬もない未知のウイルスへの不安に加え、行動の自粛によって、友人と会うことや旅行、外食にライブ、映画鑑賞といった、これまで人生の喜びとしていたものの多くを手放さなくてはならないこと、考え方の相違による家族や友人との分断、政府の仕掛けてくるモラハラめいた対応策への絶望etc、ウイルスから生まれた副産物が、我々の苦みに追い打ちをかけてくる状況にありますが、さて、我が家……というか、わたし個人の抱えている深刻な問題のひとつには「いつ、どこでオナニーするか問題」があります。ほぼ24時間、家族とひとつ屋根の下にいるこの状況、いつどこでオナニーをすればいいのさ。

さすがのわたしでも、「ちょっとオナニーするから、こっちの部屋に来ないでね」と宣言して、別部屋に籠るのは気恥ずかしい。なので、夫がいない隙を狙うしかない。夫がジョギングに出かけるのを見送ると同時に、テレビにヒカキンの動画を映して息子(3歳)に見せつつ、そそくさを仕事部屋に籠って電マのスイッチをオンして……というイメトレをしてみましたが、いつ息子が「ママ~なにやってるんだい?」とドアをノックするか、ヒヤヒヤしながらになりそうで、まったく耽溺できる気がしない。

「お風呂でオナニーしたら?」

もう少し落ち着いた状況で、と考えると防水のバイブを持ち込んで、お風呂タイムにするという手もある。が、できればそれも避けたい。というのも、風呂オナニーは、以前観た映画「アメリカンビューティー」で、ケビンスペイシー演じる、どこにでもいる平凡な中年男性が、シャワールームで自慰をしていたシーンを思い出して、気持ちが萎えてしまうからです。なぜ萎えるって、その自慰シーンに「一日の中で、一番至福な時」といったセリフがのること。生きていて、一番幸せ瞬間が、家族に隠れてこそこそとするバスルームでのオナニーって、惨めすぎるじゃないですか。そのセリフが頭から離れないわたしにとっては、バスルームでのオナニーは惨めの象徴なのです。

そもそも、場所もなければ時間だってないのです。夫が息子を散歩に連れてしてくれる時間は、唯一、家の中でひとりにもなれる時間で、まさに一番のオナニーチャンス! ですが、同時に一番のワークタイムでもある。「ママ~、ちょっとこれ、見てごらん? ママ~、ちょっとこっちに来てごらん?」とまとわりついてくるカワイイカワイイ3歳児を袖にしながら、原稿なんて書けるわけもないので、現状、夫が息子を外に連れ出すと同時に、締め切りの迫っている原稿をひたすら進めるのが優先で、そこにオナニーの入る隙間はない。これは、優先順位として、仕事よりもオナニーのほうが低いといっているわけではなく、仕事が山積みになっている状況では、メンタル的にオナニーが楽しめない、ということです。