夫への呪いの言葉

主体性を持たず、人にやらされているという状況は、責任がなくて楽な部分はあるけれども、不平不満やストレスは生まれやすい。逆に自分が主体性を持って「好きだからやっている」と認識できていれば、どんなに忙しくてもしんどくても、楽しいしやりがいもあるし喜びも感じられるものです。

けれど言葉の力は、意外と強い。「いい旦那さんね」と言われるたびに、わたしはいつも、こう返しがちです。

「いやいやいや。わたしがさんざん家事をしろとか子の面倒を見ろとか言ってるんです」

このセリフは、夫に対して呪いとなっているのではないか。本当は主体性を持ってやっていたとしても、配偶者であるわたしが、「やれといってようやくしてくれる(=あなたに主体性はない)」と口にし続けることによって、いつしかそれが本当のことになってしまうのではないか。

わたしが「子どもの面倒をよく見てるね」と夫に言うと、「だって可愛いじゃん!」という言葉が返ってきます。それは謙遜が必要のない関係だから。

けれど、本来はわたし以外の人にだって、夫が謙遜することはひとつもない。わたしの友人や両親など、“わたし側の人”に「子どもの面倒をよく見てるね」と言われたとき、夫が素直に「だって可愛いじゃん!」と言える環境を作るには、まず、わたしが呪いの言葉を封印することが必要ではないかと思ったのでした。

Text/大泉りか

次回は<男も生きづらい?夜の台湾で夫が体験したスペシャルマッサージは……>です。
夫の出張に乗じて台湾旅行に行った大泉りかさん。ところが、仕事の疲れを癒しに本場のマッサージ店に行ったはずの旦那さんが、なぜか性的サービスを受け、しかもそれを断っていた!?「男の生きづらさ」に思いを馳せるコラムです。

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