キャバ嬢に惚れこんでいた十数年ぶりの彼

十数年ぶりに連絡をくれた彼の相談の内容、それは「行きつけのキャバクラの女の子との関係がなかなか深まらない」というものでした。「彼女はデートまではしてくれるけど、その先に進もうとすると拒まれる」というのです。

さらに詳しく聞き出すと、「デート」とは、キャバクラの営業終了後、車で彼女を家まで送っていくことを言っている様子。もちろん家の中には入れてもらえません。それは、いわゆる“足”にされている状態では……というのがわたしから見えている世界ですが、彼の目に映っているのは「俺が妻子持ちであることを気にしていて、彼女は踏み越えて来れない」という世界でした。

彼とわたしに見えている、それぞれの違った世界。どちらが正しいなんてことはわかりません。彼が欲しがっているのは、「大丈夫、イケるよ」というお墨付きだということはわかっていましたが、無責任に焚きつけるのは主義に反するので、わたしはひたすら彼の話の聞き役に徹することにしました。もっとも、状況はまったく進展することなく、彼は「彼女は俺のこと、どう思ってるんだろうか」と葛藤を続けるばかりでしたが。

恋の終わりはどうなったのか。わたしと彼、どちらの見ていた世界が正しかったのか。それを知ることは、ある日、彼が突然SNSを退会してしまったために、不可能になってしまいました。

普通の男になっていた

彼は、恋の行方という謎を残していっただけではありません。わたしの彼に対する印象に、変化をもたらしました。「なんだ、あいつ普通の男だったのか」と思うようになったのです。

思い返せば、文京区に家があり「ご学友」で知られる名門付属高校に通っていた彼に対して、初体験をした当時のわたしは物怖じるような気持ちを持っていました。なぜなら、当時のわたしは東京の端っこの都立高校に通う、雑草魂を持った女子高生。彼を取り巻く世界とわたしを取り巻く世界は、同じ世界のようであって、少し違うように感じていたのです。

そんな彼が十数年後、キャバ嬢との関係がまったく進展しないことに悩んでいることを知って、途端に近しい存在に感じられました。勝手に格差意識に囚われて、彼を勝手に上に見ていたけれど、実は、彼はキャバ嬢の営業テクニックにころりと騙されてしまうような、ごく平凡な、普通の男だった。彼とわたしの世界のずれ方は、上下のずれではなく、たかだかよくあるような男女のずれでしかなかったのです。

こんなことを知っても、彼への愛情が深まったわけでも、反対に憎悪を覚えたわけでもありません。彼はわたしのなかで「そういえば、そんな人いたなぁ」というポジションのままです。幸せを祈ることもないし、死んでいてくれたらいいのにと呪うこともない。ただ、キャバ嬢との恋は上手くいったのだろうかと、たまにぼんやり思い出すのです。

Text/大泉りか

初出:2018.10.06

次回は<パートナー選びは「あなたに優しい人」よりも「人として優しい人」 >です。
彼氏にするならやさしい人がいい、なんてことをよく言いますが、「あなたにやさしい」のか「人としてやさしい」のか、その違いは重要です。パートナーを選ぶときは、どちらが重要なのでしょう?それに気づかされたエピソードとは。