願望の押しつけより、願望の肯定

 例えば花。普通に贈られれば嬉しいものです。けれど、彼は花束を差し出しながら言うのです。「花を綺麗だと思うような心を持った女の人になってください」と。

 ある時はDVDでした。しかも『風の谷のナウシカ』です。いや、ジブリは嫌いじゃない。けれどわたしは、ナウシカのDVDを貰って喜ぶような女だと思われたことが納得いきませんでした。彼の「こうあって欲しい」という願望が込められた贈り物よりも、わたしが欲しいと願うものを、「それが欲しいのね、了解!」と肯定して買ってもらうほうが、ずっといい。

 が、欲しいものはさしてない……というわけで、ここ数年は、「どうせお金を使うなら、モノではなく一緒の想い出がいい」と、国内旅行もしくはすぐ行ける程度の海外旅行をプレゼントするのが定番になっていました。けれど、今年はもともと6月に旅行に行く計画を立てていたので、5月のわたしの誕生日が浮き、しかも珍しいことにバッグが欲しかった、といういきさつで冒頭に戻るわけです。

 ついでに、わたしたち夫婦よりもさらに長い間連れ添っている、わたしの実父母の話を思い出しました。

 先日、実家に帰った際に、父親が「これ見てくれよ!」と靴ベラを差し出してきました。「うん、靴ベラがどうしたの?」と尋ねると「お母さんからの、俺の誕生日プレゼント!酷いだろ、靴ベラなんだよ!」とご立腹なのです。そこに母親も「でもそれ、7,000円もしたのよ!」と割って入ってきました。7,000円の靴ベラ! 確かにいかにも一流品のオーラは放っていますが、なぜ靴ベラにした母親よ。

「俺もお前の誕生日は靴ベラにしてやるからな!」
「靴ベラなんてひとつあればいいんだから、もういらないわよ!」
と、50年近く一緒にいるくせに、いまだプレゼントの内容で喧々諤々なふたりを見ながら、やはり我が家はサプライズ制を廃止してよかったと思ったのでした。

Text/大泉りか

次回は <「魔性の女」を見たことがありますか?彼女が中高時代に見せていたその片鱗>です。
「魔性の女」が意味するところの女性がもつ特徴とは?大泉りかさんの一番古い友達は、中学時代のあだ名が「モンチッチ」だったスポーティな少女でしたが、当時から男を狂わせる魅力の片鱗がありました。