スペック狙いの結婚の悲惨な末路

私が高校に上がる頃から、母はアルコールに溺れるようになりました。
「誰々さんにバカにされた」と深夜に無言電話をかけたり、「有名人にプロポーズされた」と電波な妄想を話し続けたり。またリストカットやオーバードーズもするようになり、何度か救急車で運ばれました。
母がどんどん壊れていくのを私は止められなかった。

父に連絡すると「俺には関係ない」と無視されて、祖父(母の父)からは「おまえがついていながら何やってるんだ!」と怒鳴られて。
「このままでは自分か母を殺してしまう」と思った私は「逃げよう」と決意しました。
その選択をした十代の自分を褒めてやりたい。自殺や他殺をするぐらいなら、逃げた方が5億倍マシだから。

国立大学に進んだ私は、バイトしながら自活を始めました。すごく大変な日々だったけど、何物にも代えがたい自由を手に入れた。
そして大学一年の冬、阪神大震災が起こりました。私自身も神戸で被災して、友人知人を亡くしました。
震災の数日後、神戸の街でバッタリ父に出会うと「なんやおまえ、生きとったんか!」と言われました。
震災報道でメディアは家族の絆を強調するけれど、それがない人だっているのです。

広告会社に入社した後も、父は私に金銭をせびり続け、借金の保証人になれと脅し、弟の貯金を使いこむなど、ろくでなしの例文のような行動を繰り返していた。
しかしこの父には二十代の彼女がいたらしい。借金まみれの左とん平のくせに。
「若く美しい女が好きな男は、加齢した妻を捨て、新たに若く美しい女を求める」というデフォルト地獄絵図。

父と母は似た者同士でした。自己愛の強すぎる者同士、スペック狙いで結婚した者同士の悲惨な末路。大人は勝手に不幸になればいいが、その子どもも巻きこまれる。私も毒親の呪いに苦しみました。

母から昼夜を問わず電話がかかってきて、出ると一方的に話し続けて何時間も切らない。無視すると何十回も電話をかけてくる。それでも無視すると、職場に押しかけてくる…という毒親あるある。

28歳の時、体を壊して広告会社を辞めた時も、母は「あなたは辞めてないわよ」と認めようとしなかった。
「有名企業に勤めるエリートの娘じゃなきゃイヤなんだ。娘の体の心配よりも、そっちの方が大事なんだ」
そんな母には慣れていたけど、もちろん深く傷つきました。