トラブルを起こしてイベント化する低レベルの恋愛
俺はよく思うんだけど、「トラブル」をイベント化する恋愛はレベルが低くないですか?
トラブル自体は真面目に悩んでたり、本当に辛かったりするのかもしれない。
けれど、トラブルが発生することで、マンネリ化した恋愛に波風立てて盛り上げてる雰囲気を感じるんですよ。それが意図的じゃなくても。
きっと恋愛の幸せはもっとささやかな部分になると思う。
彼氏がどんなに忙しくても自分の話をちゃんと聞こうとしている姿勢であったり、逆に彼が不器用で自分に目が届いてないんだけど、ありえないくらい仕事に打ち込んでいる姿を見て尊敬してしまったり。
ひょっとしたらそれは自分の価値観、恋人を見る際に大事にすべきものが明確になっていなかったら、見過ごしてしまうくらいのものなんじゃないかな。
だから短絡的なワクワクとかに流れて、いつもどおり失望するんじゃないかしら。
最後にもうひとつ。価値観は変わっていくものだということです。
そして、それは自分にも恋人にも訪れるうるものでしょう。
理想としては、<お互いがお互いの価値観の変遷に刺激され、高め合うこと>でしょう。
相手によって、自分の価値観を変えることが正解かは分かりませんが、既存の価値観に固執する理由もないでしょう。
あくまで価値観なんていまの自分の断面での決定だから。
お互いの価値観の変遷を楽しみ、高めあえている。
もしくは、その関係が終わってしまったとしても、その恋愛を経過したあとは良い方向に変わっていく人たちが多いように俺には見えます。
そして、そういったチャンスを逃さなかった人は”ひらかれた価値観””柔軟な感性”を持っていたように思う。
それは好奇心や向上心と言い換えることが出来るかもしれません。
今日はちょっと話が大きくなってしまった気がするけど、具体的な何かではなく、スタンスとして相手を「好き」と思える価値観を自分のなかできちんと定めること。
そして、その価値観の遷移自体すら楽しんでいける自分であること。
さらに言えば、その価値観にかなっていて、今度彼の価値観の遷移自体に信頼が出来る相手を見つけようとしていくこと。
これが目先の趣味、気が合うではなく、本質的で長期的に異性と良い関係を築いていくための方法じゃないかな。
次回では、「似ているから好き?」「違うタイプだから好き?」について書いてみようと思います。
それでは。
Text/ファーレンハイト
記事初出:2014.01.23