偽善ってなに?

そもそも偽善とは、なんでしょうか?
例えば、困っている人に対して手を差し伸べているように見せかけておいて、実際はそんな活動を一切やっていない(=役立っていない)場合は、ある意味、「偽善者」と言えるでしょう。
でも、もしその時、その人を助けているのであれば、その行為に偽善もなにもない。それは紛れもなく、良い行為です。

たとえ「自分が良い人に見られたい」という下心があったとしても、その行為が人の役に立っているのであれば、良い行い。やらないよりは、やった方がいいに決まっています。
そんな良い行いをしている人に対して「偽善者だ」と言って、何もしないで文句ばっかり言う人に比べたら、100倍いいでしょう。

それは偽善じゃない!

「偽善」という言葉が使われやすいシチュエーションというのは、どんなのがあるでしょうか?
例えば、「あなたのためにやっているのよ!」と言っておきながら、実は自分が相手に必要とされたいだけで、相手をダメにしてしまうおせっかいを焼いている人には言いたくなるでしょう。
でも、それは偽善どころか、「人を不幸にする誤った行為」です。

さらに、影で人をいじめておきながら、表向きでは、「いじめ反対!」なんて言う人がいたら、それは、偽善を通り越して、「嘘つき」であり「悪い人」です。
偽善なんて言葉で片付けるのは、間違っています!

逆に、あるときは人を助け、あるときは助けられなかったら、 「やっぱり偽善者だ!」なんて言われそうなものですが、それは偽善者ではありません。
人には限度があるもの。親切な行為をするにしても、無理をし過ぎて、自分を不幸にしてはダメです。

良い行いは、自分が出来る範囲のことでいいのです。むしろ、無理しない方がいい。無理してしまったら、“あなたという1人の人”を不幸にしているからです。