束縛で得られる信用は信用ではない
恋人と信頼関係を持つことはとても大切なことです。
信用してもらいたいし、相手を信用したいというのも自然な考えだと思います。
ただ、この『信用』とか『信頼』という言葉を使って相手をがんじがらめにしてしまうのは何か違うように感じます。
そして、この信用や信頼ってお互いの優しさや思いやりの中で自然に構築されるものであってほしいと思います。
ムリヤリな行動制限などで信用や信頼を強要することではないと思います。
お互いの優しさや思いやりの中でできてくる信用や信頼はとても強いつながりがありますが、、ムリヤリな行動制限や束縛だけで作り上げた信用や信頼は「きっと本心は違うんだ」という気持ちを拭いきれず、結局心から信頼することができないんだと思います。
人を信用したり、信頼したりすることは難しいとは思います。どんな人でも100%真実を言うわけではないですからね。
頭の中を覗くことができれば(できないけど…)きっと自分が思いもしなかったような恋人独自の思考があるでしょう。
でも、それでいいんじゃないかと思います。相手を分かり切ることができないからこそ、ずっと恋人に対して興味を持ち続けることができるのかもしれないですしね。この頭の中まで知ろうとし、知ることが出来ないと分かると、支配してしまおうという考えがデートDVなどに繋がる行為を生み出してしまうように思います。
次回は、『信用してもらえない』について書いていこうと思います。
今回の『浮気を疑われる』とかぶる部分も多いと思いますが、今度は違う観点から考えてみたいと思います。
皆さん、幸せな恋愛をしてくださいね!
Text/荻尚子