AMは「一人の女」を面白がって生きることを教えてくれた/紫原明子

(AI作成)

私にとってAMと言えば、どうしたって編集長の金井さんです。
 

AM編集長の金井さんは私の知る人間の中で、最も擬態がうまい人です。
金井さんは、その場にいる誰がどんな話をしても、「へえ!」とか「あ〜!」とか「たしかに!」とか言って新鮮な驚きを見せ、なんなら「さすがです、やっぱ天才ですね」とまで言うのですが、それでいて常に、誰よりも驚きに満ちた実体験による知見を隠し持っているのが金井さんです。会話の流れの中で金井さんが何気なく取り出す知見は誰の振りかざすナイフよりも切れ味鋭く、まさか金井さんをそんなこととは微塵も思っていなかった初見の人は、しばしば唖然とします。私は彼女との長い付き合いの中で、そのようなシーンを何度となく目撃してきました。しかしそれでいて彼女がそんな攻撃力の高い武器を振り回す時、彼女自身はあたかも、台所で卵の殻でも割っているかのようなさりげなさに徹します。私はナイフなんて持ったことがない、持とうと思ったこともないですよ、という平和的な人の擬態をするのが天才的にうまい、それがAM編集長の金井さんなのです。
 

そんな彼女が編集長をつとめるAM(正確にはAMの姉妹サイトとして誕生したSOLOという媒体でしたが)は、かつてnote社が運営していたcakesという媒体とともに、私がプロとして文章を書くきっかけを与えてくれた媒体でした。私は当時、夫婦関係やセックスレス、離婚に関する記事でバズった一ブロガーで、そんな私に「世界は一人の女を受け止められる」というタイトルの連載を持たせてくれたのが金井さんです。高校生の頃に出会った相手と親元を一度も離れたことのないまま結婚し、子供を産み、離婚することになり、初めてこの社会という大海原を一人の女として生きていくことになった、まさにちょうど、そういうときでした。

恋人や配偶者やセフレなど、他人とのさまざまな関係性を取り扱うAMに対して、私が連載させてもらっていたSOLOは文字通り、ひとりの人生をいかに生きるかをテーマとした媒体でした。両者は一見真逆のテーマを扱っているように見えて、しかし結局のところ根底には編集長金井さんの一貫した人生観が常に横たわっていたように思います。
 

ーたとえ誰かといようと、たとえ一人でいようと、自分が一人の女として世界に生きていることには変わりなく、じゃあ私たちはそれをどう面白がっていけるのか?ー
 

改めて考えてみれば「世界は一人の女を受け止められる」という連載タイトルは、世界への強引な信頼の押し売りであり、昔のヤンキーがいじめられっ子と親しげに肩を組んで、困惑する相手をよそに「俺たち友達だよな?!」というあの構図を彷彿とさせます。
 

おとなしい女の子に擬態し、大きな声なんてとても出せませんよ、大胆なことなんてとてもできませんよ、というポーズをとりながらその実「お前は一人の女を受け止められるよな?!」としっかり世界を挑発する。金井編集長率いるAMはそんな反逆心と遊び心に満ちた、ほかのどこよりもかっこいいメディアでした。
 

日本のインターネットの歴史の中にAMというメディアが存在したことは、決して大袈裟ではなく私たちの僥倖であり、私自身も末席でそこに参加させてもらえたことを、心からありがたく思います。

今後もし女を生きる上で道に迷ったら、あるいはもし女を生きる上で新しい面白がり方を発見したら、私は一体どこに報告をすればいいのかと、今はただ途方に暮れています。しかし金井さんと、金井さんのスピリットを受け継いだ編集部のみなさんなら、きっとまたいつか何らかの形で、私たちが懐かしく集まれる場所を作ってくれることでしょう。その日が再びやってくるまで、私はやはり女を面白がりながら、世界に喧嘩を売りながら、たくましく生きていきます。
 

Text/紫原明子