迷惑をかけあい、そのことを許しあう
恋愛を脇に置いておいたとしても、私はどんくさくてガサツで方向音痴で目が悪いから、基本的にいつも他人に迷惑をかけている。だから「他人に迷惑をかけてはいけない」という言説にふれるたび、なんだかしょんぼりしてしまう。駅でおたおたして人の流れを乱してすいません。飲み物こぼしてすいません。迷惑な存在ですいません。でもさぁ。結局は迷惑をかけずに生きていける人なんていないんじゃないの?
他人に迷惑をかけることは、申し訳ないが、仕方のないことである。迷惑をかけられることもまた、やっかいではあるが、仕方のないことである。人間はそういうものなのだから、過度に迷惑を許さない風潮は、お互いを息苦しくしてしまうのではないか。
それに、迷惑をかけたりかけられたりすることは、時に楽しいこともある。先日、酔っぱらった彼から「財布を忘れたしスマホももうすぐ電池が切れる」と電話があったので迎えに行った。すごく面倒で、「あーあ、こんなことばかりの人生だったな、なんでこんなにダメな男ばっかり好きになっちゃうんだろう」などと考えていたが、でもなんとなく非日常の高揚感もあった。なんだかんだ言ってやっぱり自分の思い通りにならない展開が面白くてドキドキしてしまう。
「私なんかが彼のことを好きになったら迷惑ではないか、だったらこんな恋愛やめたほうがいいのではないか」と悩んでいた友人は、その後彼と付き合ったが、浮気されて別れていた。彼女に「やっぱりあの時に恋を踏みとどまればよかったと思う?」と聞くと、「やめとけばよかったかもね」と笑いつつ、「でも、相手にとって迷惑かどうか考えてたのは無駄だったかも。そんなの分かんないんだから、気にしても仕方ないということが分かった」とのことだった。
そうだ。他人のことは分からない。迷惑をかけていないつもりが迷惑だったり、逆のこともあったりする。だからこそ誠実に向き合い、なるべく尊重すべきだし、気軽に楽しく迷惑をかければいいのだ。迷惑をかけあい、そのことを許しあう。そのやりとりをロマンティックに言い換えたものを「恋愛」と呼ぶのかもしれない。
Text/雨あがりの少女
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