「エロを仕事にしたら将来だれからも愛されない」って本当?今になって思うこと

かつて裸仕事で稼いでいた頃、友人や知人やたまたま知り合った人から「いまはいいんだろうけど、将来はどうするの?」と問われることが度々ありました。

大概そういうことを言ってくるのは、当時のわたしよりも年上であったり、すでに社会人として経験を積んでいる“まっとう”な人たちでした。世の中を知っているからこそ、わたしの将来を憂いで忠告してくれているのだろうから、感謝したほうがいいと思いつつも、どことなく「うーん」と思っていたのは、時に、未来を見ずに今を生きているわたしのことを、あまりよく思っていないことが、透けて見えていたせいだと思います。

「ふつうに就職するつもり」といえば「けど、就職したって今みたいにそんなに稼げないんだよ」と、甘い蜜を知ってしまった以上、この先の困難を引き受けなくてはならない旨を説いてきたり、かといって「脱げるうちは脱ぎつつ、いまある人脈を活かしてライターを続ける」と今の生き方を継続するビジョンを提示したところで「脱ぐ仕事は年を経れば減っていく一方だし、才能で食えるのは一握り」と、わざわざ悲観的観測を絡めてたしなめてくる。

将来、誰からも愛されない?

「面倒くさいから、人のことは放っておいてくれないか」と心の中でごちながら、「ひゃーい!」などとあくびを噛み殺しながら頷くと、せっかくの御説教を無視されていると思い、さらにクリティカルな攻撃に転じるパターンがこれまた厄介で、そうして続く第二陣で繰り広げられるのは、「そんなふうに自分を売り物にしていると、将来、誰も愛してくれなくなる」「自分を大切にしない人が、誰か他人に大切にしてもらえるわけがない」という孤独の呪いなのです。

「でも、こんな生き方をしていても、彼氏が途切れたことはないし」だとか「貞淑という概念が多くの人と違うだけで、決して自分を大切にしていないわけじゃない」と、返したところで、そんなものは“若い女だから”そういう状況にあるだけであって、将来――具体的には若い女として優遇されなくなったときに――は、近くで寄り添ってくれる相手なんて、いなくなるという。

けれども、裸仕事に差別意識があるからこそ、“愛されない”とか“大切にしてもらえない”とかいう発想が生まれるわけで、世の中にはそんな差別意識を持っている人ばかりではない。そして、積極的に脱ぐことはなくなったけれども脱ぐよりも恥ずかしいエロ妄想を小説としてしたためる中年女となったいま、孤独かというとまったくもってそんなことはなく、周囲の人々にそれなりに大切にもされているので、けしらかん女子たちは、世の中と歩調など合わせずに、安心して我が道を驀進してほしいと思う次第です。

Text/大泉りか

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