縁切寺に行くしかない?どうしても許せない同僚に遭遇したら

どうしても許せない人を許すには

by Charles Deluvio

どうしても許せない人と接し続けていると吐き気を催す。涙が出て止まらなくなることもあるし、声を聞くだけで眩暈がする。ずっと気分が沈んでいた日や何も手につかなくなる時間もあるし、蕁麻疹も止まらない。視界のコントラストも徐々に暗くなる。調子のいいときは、頭のなかでぼこぼこに殴ったり陰湿な嫌がらせをしている。そして、挙句の果てには縁切寺で神に向かって必死に祈るようになるらしい。

まあ、これは全部私の話なんですけどね。人には、合う・合わないや好き・嫌いがあって、それは人間関係も同じだ。

どうしても許せない人を許せる方法が知りたい。「苦手だな」「怖いな」という感情を「無」に変更する脳内プログラムがあれば教えて欲しい。これが、現在の私の目下の悩みである。

以前、会社の人の怒鳴られたことがあった。それからというものの、その人の声を聞くのも視界に入れるのも生理的に受け付けなくなってしまっている。幸い、今はコロナの影響もあってかフルリモートになり、直接関わる機会も少ない。オンラインミーティングもできるだけ声を聞かないようにし、精神的な平穏を保てている。

社内で仕事をしていたとき、その人は席の隣りにいた。だから常にイヤホンをして爆音で好きな音楽を聴き、できるだけ隣りを見ない。同じミーティングに出たあとはトイレで少し休むか、自分のなかの不安感を大きくしないよう集中力を要する作業を率先して行う。それでなんとか通常時と同じように仕事ができている。

私は、彼が怖い。できることなら目の前からいなくなって欲しい。私の関係ない、どこか別のところで適当に生きていて欲しい。顔を見るのも名前を見るのも嫌だ。ぞわぞわする。

ことの発端は、私の仕事のミスだった。元々彼とは仕事のやり方も合わなかった。ミスを謝罪すると、「悪いと思ってんの?」「お前、どういうつもりなんだよ」などと怒鳴られたのだ。他の社員がいる前で。そのあと謝罪されたが、冗談を挟みつつへらへら笑っている瞬間もあった。もともとミスをしたのは私だし、お互いに何度も頭を下げ事態を収束させたが、今思えばこの謝罪もきちんとした形ではなかったと思うし、私のなかでまだ十分に許せていないのかもしれない。

私は、家族だろうが恋人だろうが「怒鳴る」「物に当たる」という行為は暴力と同じだと思っている。そういう暴力と同等の行為を、私よりも年上で、仕事の経験も豊富で、妻子持ちの男性が「熱くなってしまうところがあって」という不明瞭な理由で行うのだ。それは私が年下の女だからという要素もあるのだろうと思ってしまう。怒鳴っても、仕事辞めたり精神を病んで訴えたりしなそうだし。上司や社長相手にも同じようにタメ口で「お前」という言葉遣いをされてもまさか怒りはしないだろうし。結局、もともと私に不満を持っていて、選ばれてしまった。タイミングもよかったのだろう。

あの一件以来、彼は「怒鳴られる可能性のある人」になっている。また同じように怒鳴られるのは怖いし、屈辱的である。だから何をするにも一度考え込み、遠慮がちになる。キーボードを打つ指の動きも、つい鈍くなってしまう。