2020年、何もできなかったーーライフイベントがない日常の見つめ方『ひみつのしつもん』

すっかり忘れていた些末な記憶

by Soragrit Wongsa

2020年の終わり、陽性者が増え続ける東京でどうにもこうにも行き詰まった私は、「額に油を垂らせば万事解決するのでは!?」という一縷の望みに懸け、都内のエステサロンを訪れた。「額に油を垂らせば」というのはアレ、アーユルヴェーダのシロダーラである。頭痛も肩こりも首こりもシロダーラで万事解決、頭がシャキーンとして気分も爽快! という一発逆転を狙ったわけだが、もちろん世の中にそう上手い話はなく、施術後は「うーん、まあちょいラクになったかも。気のせいかもだけど」程度の微妙なすっきり感だけを得て、トボトボと帰路についた。

国内で受けるシロダーラにはおそらく限界があるのだろうが、だからといって私はアーユルヴェーダそのものに失望したわけではない。いつかまた自由に海外に渡航できるようになったら、スリランカのアーユルヴェーダ治療院で2週間くらい療養したい。聞きかじった話によると、本格的なシロダーラをやると、脳がマッサージされて(?)、すっかり忘れていた昔の記憶がぽこぽこと浮き上がってくるらしい。どうでもいい昔の記憶が浮き上がってきたところで何になると言われると返す言葉もないのだけど、小学校の教室に貼ってあったポスターのこととかを、私は思い出してみたいのだ。

しかしスリランカへの渡航は今すぐには叶わないので、今年もしばらくは読書をしながら、近い効果が得られる本を探すことにする。そういうわけで2021年最初に紹介したい本は、岸本佐知子さんのエッセイ『ひみつのしつもん』だ。『ひみつのしつもん』を読んでいると、脳の底に沈んだ些末な記憶が、ぽこぽこと泡みたいに浮かび上がってくることがある。

物干し竿のキャップ部分から出てきたものは……

岸本佐知子さんは、『掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集』などの翻訳者として知られている。そんな岸本さんのエッセイ『ひみつのしつもん』は、騙すつもりはなかったのに勘違いのせいで結果的についてしまった嘘のこと、高校の教材に載っていた街を通した妄想のこと、小学生のとき真っ暗な中庭に立たされたことなど、「記憶」と呼ぶほどたいそうなものでもない、岸本さんのとても小さな思い出がたくさん書かれている。そして読んでいると、こちらも「そういえばあんなことがあった」と、過去の苦い記憶や小さな思い出が蘇ってくるのだ。幼稚園の頃プールの脱衣所で簀子にジャンプした結果着地に失敗して足をぱっくり切ったこととか、小学生の頃に行ったキャンプで母が謎の虫に噛まれて痛さで一晩中呻いていたこととか、本当に、毒にも薬にもならないようなことばかりなんだけど。

『ひみつのしつもん』のなかで、私がいちばん好きな話は『洗濯日和』である。台風が去ったあとのからりと晴れた日、洗濯物を干そうと、岸本さんは物干し竿を所定の輪に通す。しかし手を滑らせて物干し竿の片端が落下、キャップのようなものが割れて、なかから得体の知れないドロドロの液体が流れ出てくる。

それだけといえばそれだけなのだが、些末すぎて友達にもパートナーにも話さないような、自分だけの「ざらざらした感覚」が、このエッセイを読んでいるとたしかに思い出されるのだ。