傷ついた過去は「イレギュラーな地獄」
冬の終わりに緊急事態宣言が出されて以降、生活のあり方は有無を言わせず変わり、時間の流れはめちゃくちゃになった。今が春なのか夏なのか、そもそも冬は終わったのか? よくわからないまま過ぎ行く季節感の無い2020年に、つい今しがた、季節が生まれた。わたしに「好きな人」ができた。すると空気は金木犀の香りに変わり、街路樹は紅く染まり、鴨川は夏の渇きからよみがえるかのように水かさを増した。秋が来ている。はっきりとわかる。わたし、今、新しい恋をしている。
一つ前の恋を思い出す。二年ほど、見込みのない片想いをしていた。その人には恋人がいた。というか彼とはもともと友達同士で、ぼやぼやしていたら恋人ができてしまった。恋はスピード勝負、と雨あがりの少女さんも書いていたが、まったくもってその通りだと思う。
彼は恋人と付き合い始めてから、花開くように美しくなっていった。その変化を間近に見ていたからこそ、どうしたらその恋人以上に好きになってもらえるのかわからなくて、最後の一年は食事が上手くできなくなった。8キロ痩せた。それでも「ダメ、まだ太っている」と体重計の上でうずくまった。泣きながら思い出すのは、一年以上前に自分が書いた言葉だった。
本当の「自己肯定」とはなんだろうかということを考えてきた。努力の果てに得られたのは、「自分の努力への肯定感」であり、けして「自分自身への肯定感」ではなかった。本当の自己肯定とはなんだろうか。
「自己肯定感」とセットで語られがちな言葉に「承認欲求」という言葉がある。
わたしが多感なラストティーンだったテン年代初頭、その言葉は悪口として使われていた。おそらく「承認欲求」と検索すれば、当時の残党のような根拠のないまとめページや知恵袋がごまんと出てくるだろう。
10年前、承認欲求のある人間とは、「他人に認められないと気が済まない恥ずかしいやつ」という意味合いだった。
だから自分の中に承認欲求があると気がついたとき、恥ずかしくなった。こんな欲求、未熟で満たされないからこそ抱くのだと思った。しかし年を重ね、自分の目標とする仕事に就き、対外的に見ても、そして自分自身で鑑みても、満たされたような環境にいるようになってもなお、わたしから「承認欲求」は消えなかった。いったいなぜ? ていうかそもそも、承認欲求ってなんだ? そいつはどこから来て、どうしてこんなにも長く、わたしの胸に居座っているんだ?!
結論に到達したのは先月のこと。ふとしたきっかけでわたしは失っていた記憶を取り戻した。それは、小学校高学年の2年間に渡って教師主導のいじめを受けていた、ということだった。あまりにつらい出来事だったので、子どものわたしはそのことを記憶から消したのだ。しかし、事件そのものを忘れたことによって、より一層いじめはわたしの人生を変えたと言ってもいい。悪意の毒はやわらかい子どもの心の奥深く、無意識下に根を張り、世界の見方を歪めたのだ。
「世の中の人はみんな、わたしに死んでほしいと思っている。でも、生きたい。だからわたしは、たくさんの人に認められなければならない。一人が死ねと願っても、ほかの九人が、『いやあいつは利用価値があるから生かしておこう』と思ってくれるように。」
12歳から27歳までの15年間、わたしはこんなふうに世界を見ていた。当然のことながら、心休まる時はほとんど無かった。いつでも何かに駆り立てられるように、必死の努力をした。大学も六大学を出たし、若い劇作家として(言い忘れたがわたしは演劇をやっている)トップオブトップとまではいかないが、そこそこの場所まで到達できた。でもちっとも幸せじゃなかった。いつも怖かった。世界とは、気を抜くとすぐわたしを害するものだったから。
長々と話したが、言いたいのは「わたし可哀想でしょ」ってことではない。
承認欲求、つまり他者に認められたい、というのは、他者から害されるという思考の上にある切実な生存欲求だった、ということだ。
承認欲求に苦しむ君へ。君の心をさいなむ強い欲求は、バカにされるような欲求じゃない。たとえ心無い人間がバカにしても、わたしは君を尊ぶ。そして君だけは君をバカにしてはいけない。君はただ、生きたいと願っているだけだ。かつてのわたしと同じように。そして現代日本に生きるすべての人は、生きる意志を尊重されなければならない。誰もそれを侵せない。
そのうえで、承認欲求に振り回されて苦しい君へ。世界はもう君を害さない。そのことをわたしが伝える。もしも今、害されるような環境にあるのなら、その場所が特別異常で、イレギュラーな地獄なのだ。
と、まあ良さげなことを言ったが、これで終わったらテン年代の知恵袋とさして変わらない。地獄から抜け出た後も地獄は続く。それは真実だ。わたしも15年苦しんだ。ではどう生きるか? どうすれば自分を救い出せるか? 一つの提案をしよう。
君は君のために、歪ませられた世界の見方を、自分の手に取り戻さなければならない。
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