世界はわたしを害さない、という安堵を
さて自己肯定感の話である。担当さんと話していて、AMの読者の悩みとして、転職・恋愛・出会いがあげられると知った。そのどれもに共通するのが、「現状を変えたいが、踏み出せない、踏み切れない」という苦悩だ。
分解して考えてみよう。「なぜ」自分は踏み出せないのだろう?
なぜ、というのは、心の持ちようを責めるための言葉じゃない。自分がいくじなしだから、だらしないから……なんて言葉で自分を責めてはいけない。
さらに分解して考えてみよう。人がなにかを躊躇するのは、うまくいかないイメージが頭の中に浮かぶからだ。うまくいかない自分の姿がはっきりと見えているからだ。その幻像は、低い自己イメージ、自己肯定感によって生まれる。
それはいったいなぜなのか? きっかけの出来事が必ず過去にある。それを思い出すのだ。君自身も忘れているところに、過去はひそんでいる。酷く痛めつけられ、傷ついた過去が。
そしてそのきっかけをつくった首謀者を決して許さないことだ。君がされたのは暴力だ。それを受け止めるのだ。
泣いてもいい。立ち上がれなくなってもいい。暴力に屈するとは、泣いてしまったり、傷ついて立ち上がれなくなってしまったりすることではない。暴力を内面化することだ。暴力をふるう側の言い分、その心のメカニズムを受容し、内面化することだ。そいつと自分を一体化させてはいけない。自分は暴力をふるわれて当然の人間だったんだ、あの人は至極当然のことをしたんだ、そもそも世界なんてそんなもんだ、と思ってはいけない。世界はもっと美しい。もっと君のためにある。
数年越しの結論を出す。本当の自己肯定とは、自分を傷つけた出来事と人物を記憶の奥底から見つけ出し、それをイレギュラーな地獄だと認定すること。そして本来の世界はけして自分を傷つけないと心の底から安堵して、初めて生まれるものなのだ。
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鴨川の向こうに好きな人が見えて、わたしの唇はほころぶ。今わたしが恋をしているのは、わたし自身が変わったからだ。
これまでは恐ろしい世界から守ってくれる人を求めていた。恋した人に対して、わたしを守ってね、愛を惜しみなくちょうだいね、という態度だった。だけど今は違う。世界はわたしを害さない。たとえ害されることがあっても、それはイレギュラーな事件であって、当然だと我慢することじゃない。そうわかるようになった。
好きな人が生きているのを見るのが好きだ。体が軽くなって、芳しい空気で胸いっぱいになる。気分が良くなる。そして頑張ろうと思う。その人に尽くすことを頑張るんじゃない。自分自身の芸術を仕事にすること、より良いものを創るために、がんばろうと思う。
わたしは受け取るために生きてたけど、今はむしろ、惚れさせるために生きている。わたしが愛して、わたしが送るのだ。これは好きな人以外に対してもそうである。これを読んでくれている君に対しても、そうである。
焦らなくていい。少しずつ、長く息が続くように、記憶に潜ろう。わたしは君を信じている。
お知らせ
葭本未織 出演作『Tokyo Strangers』が、あわら湯けむり映画祭にノミネートされました。
あわら温泉で開催される「あわら湯けむり映画祭」とは、毎年全国から応募のあった自主制作短編映画を温泉街のあちこちの会場で上映し、鑑賞したお客様が審査員となってグランプリを決定する参加型の映画祭です。今年はコロナ禍の影響により、オンライン配信となりますので、おうちでゆったりと映画を楽しんでください。
全編フランス語のファンタジックな短編映画です。
11月1日まで映画祭公式サイトにて全編公開中です。
ぜひご投票ください!ご感想お待ちしております。
『Tokyo Strangers』
監督:川崎大輔
出演:ジャン=フィリップ・マルタン、葭本未織
Text/葭本未織
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