「モテたい」という漠然とした思い。大人になるにつれて薄れていった理由/あたそ

なぜ「モテたい」のか?

by Daniel Roe

学生の頃は、漠然と「モテたい」と思っていた。好意を寄せられ、彼氏でもセフレでもなんでもいいからできたりして、男性からちやほやされれば何かが変わると信じていた。そうすれば、胸のなかにいつもあるモヤモヤとした不満も立ち消え、今よりもうまくいくんじゃないかと思っていた。しかし、その話を友達にすると「本当に彼氏が欲しいと思っているわけじゃないじゃん!」と言われ、その度に「それもそうかも」と妙に納得してしまう。これが私のお決まりのやり取りでもあった。というか、“本当に彼氏が欲しい”と思っている人間の心理言動って何なんだ。いまだ理解に至っていない。

それから年月が経ち、現在の私は結婚も恋愛も相変わらず無縁だ。けれど、「モテたい」という気持ちはなくなった。というか、ある程度の年齢に至ると、性別関係なく、人からどう思われているのかあんまり気にならなくなる。これは私が本気で「年取ってよかったな」と思うことのひとつなのだが、人から好かれようが嫌われようが、結構どっちでもいい。若い頃はクラスメイトに少しでも嫌われたらこの世の終わりのように感じていたけれど、今ならわかる。人からどう思われても、結構適当に生きていけるということが。人の顔色をうかがうより、自分の好きなようにしていた方がいいということが。世界は、想像以上に広いし色々な人がいるのだ。

そりゃ好きな人には好かれたいし、私のことを少しでも考えてくれていたらうれしい。できるだけ関係が続くように働きかけもする。でも、縁が切れるときは切れるんだから仕方ない。恋人がいたらいいのかもしれないが、人の感情までコントロールできるだなんて、何もアクションを起こさず人から好かれるなんて、そんな大層なことは思っていない。できないものはできないし、好かれないものは好かれない。私は私の手の届く範囲内で自分にできる努力をするしかない。

あの頃抱いていた、「モテたい」という漠然とした気持ちは一体なんだったのだろう? と考えたとき、やっと気が付いた。私は人から認めてもらいかったし、自分の居場所が欲しかった。それから、今よりも幅の狭い生き方しか知らなかった。周囲の人が普通にしている恋愛が私にできない理由がわからなかったし、他人から持たれる好意をすんなり受け入れられるのも不思議で仕方がない。なんだか、自分だけ世界の外側で、輪に入れてもらえずに、指をくわえて見ている。そういう感覚がずっとまとわりつていた。