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“普通”になりきれない焦り

他の人はどうか知らない。でも私の学生時代はクッソつまんねーものに囲まれていた。特に高校では、雑誌とテレビが自分を取り囲むカルチャーのすべてで、男からどう思われるか? どんな相手が好きか? どういうデートをしたいのか? どうしたら彼氏ができるのか? それが常に話題の中心だった。それが私を取り巻く普通だったし、その普通は私のなかに植え付けられることはなかった。

恋愛をしていない人は変な人。オタクも認めてやるけど、こっちには来ないでね。でも、せっかく同じクラスなんだもん。みんなでキラキラした最高の青春、作ろうよ~☆という感じ。みんな普通にいい人だったりするのが厄介であり、私がなんとか生きていられた理由でもあるが、そういう世界が私の学生時代のすべてだった。

大学時代も同じで、恋愛をしない人は変わり者扱いをされ、「なんで?」「どうして?」と聞かれるくらいなら、「恋愛をしたいけど、なかなかできない人」を選んだ方がいくらかマシだ。「いやーモテないんですよね」とかなんとか言っておけば、一旦その場の会話は収まる。まあ女性扱いも好意を持たれることも苦手なので、どうしたって恋愛に不向きなのではあるのだけれど。そして、かわいらしい、典型的な女性らしさや母性を持つおしとやかな女性と並ぶと私は単なる同級生Aでしかなくて、自分という個性や存在が認めてもらえるとは思えない。だったら、自虐でもして笑いを取って面白い女性になっていくしか選択肢がなかった。

今思い返すと、そういう自分もきっとしんどかったんだと思う。若いって、それだけで辛くて窮屈だったし、なんだか無理をしていた。やっぱり私は男性からよく思われたいわけではなくて、ひとりの人間として認められたかっただけだから。しかし、私は生き方がひとつしかないのだと錯覚していた。頭のどこかに「男性に認められなければ、この社会ではやっていけない」という考えがあったからこそ、「モテたい」という行動の伴わない思想に囚われていたのだろう。あの頃、そういう生き方しかわからなかったし、それが私の思い描く普通だった。どうしたって普通になりきれない私は焦っていたのだ。

なんだったんだろう、あの息苦しい感じ。今なら男性に認められなくても、男性に認められることを善しとする思想も大した問題じゃないとはっきりとわかるし、「くだらないこと」と切り捨てることができる。でも、あの頃の私には、どこにいても男性からの評価が付きまとっていたし、それがすべてだった。

もう少し肩の力を抜いてもよかった。今と同じくらい人の目を気にしないで、自分は自分と割り切っていてもよかった。けれど、当時の私には、ああするしかなかったのかなとも思う。他の立ち振る舞い方と知らなかったから。

あの時代があったからこそ、今の私がいる。だから、後悔しているわけでも、やり直したいと思っているわけではない。けれど、普通に生きていくうえで結構辛いところに自分の立ち位置はあったし、微妙なバランス感覚を持って立っていたのだと思う。あまり思い出したくない、苦い過去になるつつある。

Text/あたそ

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