居場所に“しがらみ”が生まれるのは地元もネットも同じ

――地方にいても情報はどんどん入ってくるし、東京との文化資本の差を感じている人もいる一方で、地元にあるもので十分満足できる、いわゆる“マイルドヤンキー”みたいな人もいると思うんですが、その違いは何だと思いますか?

山内

それ、私もわからないんですよね。私の兄が、同じDNAで同じように育ったはずなのに、どこで何をどうしたらこんなに違ってくるのかっていうくらいタイプが違うんですよ。確実に言えるのは、地元で堅実にやってる兄みたいな人の方が、マジョリティってこと!東京で地方出身者の人と話すと、それが逆転して、都会で仕事が楽しくて結婚とか後回しにしてる女子が主流、みたいになるんですけどね。でも地元基準では、私の方がおかしいんだ、ズレてるんだと、忘れないようにしなきゃいけないという(笑)。

 マイルドヤンキーを東京目線で批判的に見たりするのは、すごく傲慢だとも思っていて。地元になじんで楽しくやっている大多数の人たちの人生を否定する気はないし、あくまでも、私はそこでうまくやれなかったという負い目があるんです。

――そういう人たちにとって、大きな“居場所”の役割を果たしてきたのがインターネットですよね。SNSなどの普及によって、地元でははみ出し者だと思っていた人も、ネットには同じ気持ちの人がたくさんいるんだと連帯できるようになった恩恵ははかりしれないと思います。

山内

そうですね、私の場合はちょうどmixi全盛の時代で、映画の感想を書くと全然知らない人から感想がきたり、趣味が縁になってどんどんつながっていくのがすごく楽しかった。でも、その喜びってほんの一瞬で、すぐに面倒くさいしがらみになっていっちゃうんですよね。

 Twitterもそう。始めたばかりの頃は楽しくて無邪気にやっていたのに、すぐに「あ、この人めんどくさい」みたいな人が出てくるし、新しい出会いのツールのはずが、しがらみだらけの使い方をしてたりして、「なんだかなぁ~」って気持ちになる。

――閉塞感から解き放たれていたはずのオンラインのつながりにも、必ずしがらみが発生しちゃいますよね……。

山内

東浩紀さんの『弱いつながり』(幻冬舎)という本にも、ネット上のつながりの方がむしろ強固でしがらみが強い、といったことが書かれていました。“つながり至上主義”みたいになっているところを、いかに自分がちょうどいいと思える距離感で付き合うかはすごく大事。SNSもいいけど、近所の人にニッコリあいさつする方が、精神衛生的にはかなり健全ですから。