可愛い?可愛くない?人から人への無許可のジャッジについて/ラッパー椿

人にジャッジされる為の私じゃない

人として人間を愛したい椿の画像

 こんにちは! ラッパーの椿です!
先日、地元の福岡にて開催された日本最高峰のMCバトルの大会、ULTIMATE MC BATTLE2018への決勝進出をかけた地方予選において、2年連続優勝を果たすことが出来ましたー!
今年も福岡代表として日本一を目指すので、興味ある方は是非年末の決勝大会に足を運んでください。

 さて、近状報告はこのくらいで切り上げ本題に。
「AM」での連載も今回で3回目という節目を迎えました。綴りたいテーマが日常に溢れすぎて迷っていたところ、タイムリーに「衝動」を駆り立てる出来事が。

 MCバトルではラップのスキル、説得力など様々な要素を含めた上で、最終的に観客や審査員にジャッジを委ね、勝敗が決まる。しかし、日常生活やSNS上に蔓延る“人から人へ下される無許可のジャッジメント”を見聞きすると、心底うんざりする。
特に女性であれば、外見に対して投げつけられる身勝手な論争に疲弊した経験があるのではないだろうか?
当然の事として示しておきたい。「私は私という存在や選択や外見、その全てにおいて、誰からのジャッジも許していない。」と。

可愛い、可愛くない論争

 これは否定されて腹が立つ、という話でも、褒められたい、という欲求の話でもない。

 SNSに写真をアップすれば、やれ可愛いだ可愛いくはないだ、顔も名前も知らないアカウントが土足で踏み込んでくる。
YouTubeにミュージックビデオや動画がアップされると、コメント欄には必ずと言っていいほど「可愛い」「可愛くない」「実物の方が~」「タイプじゃない」等の論争がぶら下がる。

 楽曲や発信する内容への批評と全く関係のない雑音も一方的に消化しなくてはならない現状にも慣れてはいるが、決して許したつもりはない。
人の顔や身体をジャッジして良いと思っている連中に対して、「立ち入り禁止」の意識だけは強く持っていたい。

 可愛いも可愛くないも、そもそも他人に批評される為の顔じゃない。アリもナシも、そもそも貴方を満足させる為の身体じゃない。

 もちろん、面と向かって外見を褒められた時に、だから何だ! おりゃー! と目くじらを立てるようなことはしない。褒められること自体は当然嬉しい。
しかし、褒めていることを盾に従順さを求めてくる人もいる。それはどうもありがとう。とサラッと受け流したところで、不満を露わにされたりもする。
褒めてんだから、笑顔で有り難く受け取れよ。という無言の圧だ。

 高飛車などと揶揄されるのも避けたい、必要以上に謙遜するのも疲れる。
角が立たない受け取り方として、
「モノ好きですね~でも嬉しい、ありがとう(ニコッ)」
「ありがとうございます、両親に感謝を伝えておきます~(ニコッ)」
などとやってる内に疑問が湧き上がる。
嫌味がないように応えるスキルなんて、そもそも何故、一方的に踏み込まれるこちら側が身に付けなければならないのか。