信じた畑をひたすら耕せ!「私には何もない」と絶望しているなら/椿

羨ましいスパイラル

ラップバトル中の椿さん 提供:THE罵倒/CASTLE RECORDS

「アナタには夢があっていいよね」
と、昔から度々言われ続けてきた。

私にそう呟くと、友人たちは決まって「私には何もないから……」と俯いてしまう。だからいつも複雑な気持ちになった。
なんだか、あちゃ~……。となるこの会話の空気感が苦手だったし、友人たちが「夢」と呼ぶ夢を、私自身は「夢」と捉えていなかったりもして、違和感もあった。

「夢なんて大それたものじゃなくても、きっと何か目標を見つけることができるよ!」といった励ましも、「私だって全然まだまだで、しょっちゅう自信を失くしたりするんだよー」といった夢さえあれば順風満帆なわけじゃないアピールも、相手の心にはポジティブに届いている気がしなかった。

友人の抱える迷いや劣等感の引き金を引くつもりはもちろんない。羨ましがられるほど輝かしい功績が私にあるわけでもない。
そんな歯痒さがありつつも、どうにか前を向いてくれないものか……と、友人たちに向き合っていく内に気づいたことがある。

“羨ましいスパイラル”はとても頑固だ。
そこに嵌っている限り、何かを望む力は生まれない。
そもそも「夢中になれるものがあるアナタに分かるはずがない。私には何もないのだから」というマインドによって降ろされてしまったシャッターは、いくら叩こうが外側からは開かないのだ。

夢や目標という言葉

私にとって夢や目標とは、「何かを望む力」に名前が付いているだけに過ぎない。
何かを望む力とは、半径1メーター以内の世界からはじめられる。
最初から高い山頂を見ていたわけではなかった。

「夢」というキラキラした言葉に夢を見ている人と出会う度に、「夢」という呼び名を捨てたくもなる。
夢を「夢」と呼びたくない。とは、結婚を「ゴール」と呼びたくない気持ちと似ているかもしれない。

「夢があっていいよね」と言われる度に思い出す、あるエピソードがある。

恋人と別れて落ち込んでるAさんに対し、一度も恋人ができたことのないBさんが「恋人ができるだけ君は良いじゃない」と呟いた。するとAさんは「恋人ができなければ、この痛みも知らずにすんだ。知らなかった頃にはもう戻れないんだよ」と答えた、という。

その通り。
何もない、といった虚無感の中に佇む人から、こちらの目指す壁の高さも道の険しさも、窺える筈がないのだ。
どちらの方が幸せだなんて、秤にかけることはできない。0と感じるか10と感じるか、何事も結局は心の感度の問題だと思う。
“夢や目標がある人はただ単にラッキーで恵まれた人”と思い込んでる以上は、こちら側との形勢逆転はあり得ないのだ。

一度「望む力」を発動できた人は、次から次へ形を変えながらも、半径1メーター以内の望みにアクションし続けることができる。

だから、声を大にして言いたい。
こちら側に来るか、来ないかでしかないと。