いざというときの『助けて』が言いやすいように徳を積む=善く生きる!

最近の私は人類学の本をよく読むのですが、おそらく人間の根本には「贈与」があります。与え、与えられるという関係があります。
私たちは「人に迷惑をかけるな」と教わってきたけれど、それは別の言い方をすると「人から何も受け取るな」と同義です。当然ながら、とにかく周囲に迷惑をかけまくればいいという話ではないです。
だけど大切なのは、「人から何も受け取らない」ことではなく、「与えられたぶんを少し多めにして返す」ことなのではないかな……と、ちょっと大人になった(31歳になりました)私は考えます。

イタリアでたくさんの人にお世話になったぶん、私は東京にいる外国人観光客に親切にしないと罰が当たるでしょう。もちろん身近な人にも、自分の持っているものを必要なシーンで与えられなかったら、私のほうが報われません。
旅先で散々人に迷惑をかけたことで、「困ったときはしょうがないので『助けて』って言おう」と、「いざというときの『助けて』が言いやすいように、普段からgiveの精神を発揮して徳を積んどこう」を、同時に思うようになりました。

もしかしたら「人に迷惑をかけない」よりも、「いざとなったら世話になる」という心構えでいたほうが、「善く生きる」をきちんとまっとうできるのかもしれません。人に親切にしないと死ぬって、私は今、マジで思っておりますので……。

「一人が楽しい」と、「人は一人では生きていけない」は、両立できます。
もっと胸を張って「一人が楽しい」と言えるように、自分の感性を責めないために。独り身だからこそ周囲ときちんと関わっていきたいと、最近の私は決意を新たにして、ガンバっています。

Text/チェコ好き

「※2018年5月2日に「SOLO」で掲載しました」