本当に好きなものがあぶり出された瞬間
長く続くと思っていた自粛生活も、徐々に解除されていく兆しが見えてきた。「2~3年は覚悟しておいたほうがいい」と言われていたので、想定よりはやくその時が訪れそうで少し希望を抱いている。ずっと長い間、誰とも会わずに過ごしていたらどうなってしまうんだろう、考えると途方もない。
私はずっと音楽が好きで、仕事中も聴いていることが多いし、暇を見つけては好みのアーティストを探す。ライブやフェスは生きがいのひとつで、友達のほとんどは音楽を通じて知り合った人ばかりだ。その好きだった音楽業界が、今かなりの窮地に立たされているらしい。元々CDが売れない時代と言われていて、ライブやグッズで収益を得るビジネスにシフトチェンジしたにも関わらず、そのライブができなくなってしまったからだ。緊急事態宣言が出てからは手探りで進めていたライブ配信も、今では比較的盛んに行われるようになったと思う。本来であれば国が保障する問題であり、私が心配をしたり、胸を痛める必要はないのかもしれないけど、色々な人の尽力の甲斐もあり少しずつ形になってきた気がして、安堵している。
しかし、そこで私は気が付いてしまったのだ。配信ライブに全く興味がわかないということに。配信されはじめた頃は見ていたんですが、最近はめっきり見なくなってしまった。映画であれば、2時間も3時間も集中して見ることができるのに、配信ライブとなると、15分くらいで「もういいや」となって、スマホをいじり出してしまう。そういえば、世の中にはライブDVDというものがあって私もたまに買ったりはするのだけれど、ほとんど見ない。1回見ればいい方。封すら開けていない作品が実家には多数転がっている。かといって、好きな音楽やライブハウスがなくなってしまうのは困る。死活問題だ。ということで、配信ライブは1~2曲しか見ないけどお金は落とす、というあしながおじさんのような行いをここ最近は続けている。あしながおじさんってそんな話でしたっけ? まあ、いいか。
私は、ライブというステージ上で繰り広げられる演奏を、パフォーマンスや昇華しきった自己表現だと認識している部分がある。やっぱり大きなステージがあって、隣の人の声が聴こえないくらいの大音量が響いて、眩しいくらいの光や映像、そして目の前の光景に熱狂している観客が揃っていないと駄目なんだ。その場にいる自分の存在が同化してしまうようなライブが好きだ。瞬きするのも惜しいくらい、どんな風に感情を表現していいのかわからないまま思わず笑みがこぼれてしまうくらい、かっこいいライブがどうしようもないほどに大好きだ。
音楽だけでではなくて、この自粛期間のなかで、自分が本当に好きなもの、実は興味がなかったもの、という細分化がますます進んだ気がする。ひとりで過ごす時間だけはやたらにあるから、それだけ自分の趣味嗜好について、これからについて思い耽ってしまうだけなのだが。
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