実際に行ってみないとわからない

談笑する女性たちの画像 photo あたそ

行く前は、怖い気持ちを多少なりとも持っていた。キャンセルすることは選択肢にすらなかったが。危ない目に遭うことがなかったからこそ、こんなことを言えるのはわかっているけれど、この時期に来ることができてよかったと思っている。
英語で道を聞けば、「日本人の方ですか?」と流暢な日本語で質問をしてくれ、次の電車が来るわずかな時間を日本語で話をする。行きたいレストランがどうしてもわからなかったとき、わざわざお店の前まで案内してくれる人もいた。常に酔っぱらっていた宿の人とは毎日のようにハグをし、そして夜な夜なお酒を飲みながら家族の話や自分の人生の話を拙い英語で話し合った。深夜にひとりで水タバコを吸いに行けば、女の子が話しかけてくれた。片言の英語で、一生懸命話してくれる人にもたくさん出会った。

嬉しかった。日本人である私に、話しかけてくれることが。何か目に見えないハードルを軽々と飛び越えてくれているようで、なんだか堪らなく泣きそうになる。嫌な気持ちになった瞬間が少しもない。現地で人と触れ合う度に、私のなかの恐怖が少しずつ薄れていく。ここは、私のよく知っている韓国という国だった。何も変わらない。いつもの、優しい韓国人ばかりだった。

日本のことを嫌いな人が存在していることは、もちろんわかっている。実際によくない事件だって起きている。私だって、日本に対して負の気持ちを抱く感覚と同じように、韓国という国に対して残念だと思うこともある。
けれど、私はこの国を、この国の人をどうしても嫌いにはなれない。それは、私が現地に足を運ぶ度に、人の小さな優しさに何度も何度も触れるからだった。

ニュースや人の言っていることなんて、どうだっていい。実際に行ってみなければわからないことなんて、山のようにある。この時期に行く韓国は、国同士の関係ではなく、人と人との関係やつながりを強く感じさせてくれた旅行になったように思う。

自分の目で見、耳で聞き、全身で感じたものが私の思うすべてだ。

Text/あたそ