なんで私を結婚式に呼ぶの?もう接点がない友人を祝福できない私の罪悪感

それでも、結婚式に参列したくない

そんなに仲良くない友達の結婚式に呼ばれて祝福できない女性の画像 Omar Lopez

 年を取れば、自然と悩むことがなくなると聞いていた。まあ、たしかに自分の容姿に対して悲観的な感覚を持つ頻度も少なくなったし、ひとつの人間関係について悩むこともなくなった。

 だって、私はもうずっとこの顔で生きてきたし、これからもこの顔で生きていかなければいけない。年齢を重ねるたびに、評価ポイントは容姿から中身へと移り変わってくる。いつまでも容姿をいじられることに注力していれば、私はこの世界では生きていけない。
正しい評価ポイントのない世界で私より容姿の優れた人間はいくらだっている。だったら、社会のなかで正しく機能できるよう、生き抜くスキルを身に着けていったほうがいくらかマシだ。

 人間関係だってそうだ。ひとりの人間に嫌われようが、自分の人生に何の影響もない人物に陰口を叩かれようがそれは大した問題じゃない。私は、他にもたくさんの世界を持っている。ひとつの人間関係にこだわる必要なんてどこにもないし、人に嫌われることも的外れな悪口を言われることも気にならなくなった。

 たしかに、些細なことで悩まなくなった。人間関係が仕事の障害になることもなくなった。でも、私には成長するうえで大きな悩みを抱えるようになった。それは、結婚式に行きたくない、ということである。

 結婚式に、出たくない。どんなに仲のいい人だろうが、気が滅入る。この幸せな空間で、自分の役割を考えたときに何もできることがなさそうで、居場所のなさに閉塞感を覚える。かと言って、誘われないと凹む。誘ってくれなかった友人に理由を尋ねれば、「だってあんたこういうの嫌いでしょ? しかも、共通の友だち1人もいないんだもん」と来た。うん、正しい。絶対に行きたくない。しかし、誘われないのもそれはそれで癪だった。これって、わがままなんだろうか。

 今まで結婚式に出席したことが3度ほどあって、1度目は新郎新婦ともに仲がよく、新婦なんて知り合って10年以上が経つ。なぜか私は感極まって泣き、心から祝福できるような結婚式だったし、「末永く幸せでいてくれ……!」と、2人のことを思い出す度に勝手に空に向かって願ったりしていたくらいだった。でも、この経験があるからこそ、私はますます結婚式に出席したくなくなってしまったのかもしれない。