無条件で一緒にいてくれた犬、生まれてから一緒にいるはずの母
私の実家には今2匹のラブラドールがいて、その子のお父さんとお母さんはもう死んでしまっている。10歳の頃から飼いはじめたので、もう人生の半分以上を犬と過ごしていることになる。
毎日最初に「行ってきます」「ただいま」と話しかける相手が、4匹の犬だった。私が人生のうちで一番抱きしめた相手も犬だ。167センチくらいある私が座ると、犬は真正面にやってきて、抱きしめるとちょうど肩のあたりに犬の頭が乗る。暖かくて、毛並みがつるつるしていて、その時間がすごく好きだった。
一緒に寝た時間が一番多いのもたぶん犬だ。20キロ近くあるのに、ひざや私の体の上にどうしても乗りたがる。大きいからだをわざわざ小さく丸めて器用に乗る。何を勘違いしているのか「重いからどいて」といっても、尻尾を振って絶対にどこうとしない。結局私が、重さに耐えるしかなかった。
テレビを見ながら笑っていると、隣まで歩いてきて一緒になって喜んでくれたし、悲しいときや落ち込んでいるときは、必ず慰めてくれた。人目を盗んでトイレットペーパーの芯をかじるのが好きで、その度にゲージがぐしゃぐしゃになるけれど、なんだか馬鹿らしくなって、いつもちょっとむかつきながら掃除をしていた。
インスタグラムで人気の犬ほどかわいくはないかもしれないし、頭もよかったわけじゃない。犬が家にいることで、散歩に時間がかかるとか服が毛だらけになるとか、制限がかかってしまうこともあったかもしれない。でも私にとってはとても大切な存在で、今もそれは変わらなかった。
私のことを肯定も否定もしない。どんな仕事に就いているとか、どんな容姿をしているのかとか、どれくらい頭がよくてお金を持っているのかとか、そんなことを一切関係なく、無条件でずっとそばにいてくれたのは、私の人生のうちで4匹の犬だけだった。
犬が死んでしまってどうしていいのかわからくなったとき、一瞬「ああ、これで本当に親子の会話がなくなってしまったんだな」という思いが頭をよぎった。というのも、私が実家を出てから母から連絡がきたのは3回ほどで、それは毎回死んでしまった犬のことだったからだ。
いつも返事のしにくい文章で、私にどんな返答を求めているのか全く読めない。返さないまま終わってしまうこともあった。
「家を出ても、たまには帰ってきてよ」と言った母。でも私たちの間で気軽にできる会話は実はあまりなくて、じっくり話をした記憶はもう何年も前の話になる。一緒に食事をしたのも、買い物に行ったのも、もう何年も前の話だ。きっと家に帰っても、それほど会話ができず、お互いへのかみ合わなさを感じるんだろうとも思う。
犬が死んでしまった今、私は私が生まれてからずっと人生を一緒に過ごしているはずの人と、疎遠になってしまうのだろうか。
Text/あたそ
※2018年2月14日に「SOLO」で掲載しました
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