少し立ち止まって、記憶を整理できる存在
言葉の通じない国をたくさん旅行して、色んな景色や建造物に触れ、日本では見ることができないもの・経験できないことをたくさんしてきたはずなのに、ふと思い出すのは、その国々で出会った人との関わりやどうでもいい会話なんです。私の場合は。
シーシャを吸っていた時間もそのうちのひとつ。日本人の友達と「何もやることないよね」なんて話をしたこと、店員さんにサービスでナツメの実をたくさんもらったこと、一人で吸っていたら目の前のイスに縞模様の猫が座ってくれたこと…そういうなんでもないことを、なんとなく思い出します。
ある特定のものを見たり、場所に行ったり、懐かしい匂いを嗅いだりすると、思い起こされる体験や記憶の片隅から懐かしい人が飛び出てくるとか、そういう経験って誰にでもあると思うのですが、私にとって、シーシャがまさにそう。匂いを嗅いだり吸ったりする度に、ちょっとした古い思い出が呼び起こされるんです。
仕事をして、友達と遊んで、嫌なこととか悲しいこともあったりして、そんな忙しい毎日を過ごしているけれど、シーシャを吸っているときはほんの少しだけ立ち止まって昔のことを思い出したり、色々なことを考えたりする時間になっているんですよね。
“シーシャを吸う”という動作でワンクッション置くからか、頭の中の容量に少し余裕ができるのかもしれません。もちろん煙を吸うのが好きになった、というのもあるんですけど。
自分と対峙できる時間があると、作業に没頭しつつ普段の考えを整理することができるので、いいですよ。
ちなみに、この文章もシーシャを吸いながら書いています。
店はけっこう繁盛していて、たくさん人はいるのに、各々が作業に集中していて、周囲に全く関心がない独特の空気が漂っている。この感じとかが好きなんだよなあ。
Text/あたそ
※2017年5月02日に「SOLO」で掲載しました