性欲がなくなったら男を嫌いになるのか?ホルモンは侮れないらしい

出産直後のいわゆる“ガルガル期”と呼ばれる時期のわたしは荒れ狂っていた。それは産後のホルモンバランスの問題もあっただろうし、急激な環境の変化という外的要因もあった。人生で初めての出産と育児を行いながら、これまで必死に積み重ねてきた仕事を続けられるのかの不安に襲われつつ、細切れ睡眠でほとほと疲れ切った肉体を鞭打ち、気合と根性で原稿を書いていた。

そこに、これまでと同様に自分が経営しているバーに出勤し、酔っ払って帰ってきたかつての夫に「え、起きてるの? 仕事してる。すげぇなぁ!」などと驚かれたり、仕事先の人に子どもを保育園に預けて取材に来ましたなどというと、「保育園に子どもを送っているお母さんって、雨の日も雪の日も自転車で走っているの見ると逞しいなぁっていつも尊敬するよ」といわれたりすると、悪意がないどころか、励ましてくれているのことは頭でわかりつつも、わたしが欲しいのは褒められることではなく、手助けだ!といつも心の中でブチギレていた。

自分の選択の結果であるのだから受け入れるしかないという気持ちと、なぜわたしだけがその負担を負うのかという不満とがいつもせめぎ合っていて、なにかのトリガーが引かれた瞬間に「は?」と怒鳴り散らしていた。

“ガルガル期”をホルモンのせいだけにはされたくはない。けれども、ホルモンというものは侮れないようでもある。というのも、先日年上の女性たちとお茶をしばいた際に「50歳を越えたら性欲がなくなり、さらに概ね男全般が嫌いになった」という話を聞いて慄いたからだ。

男の優しさは性欲由来?

少し前の話だけれども「男の優しさは性欲由来」というような言説がSNS上でバズっていて、多くの女性たちが同意をしているポストも多く流れてきたが、女性もまた性欲がなくなると男性という性が嫌いになるらしい。そういうことがあるのか。わたしは女友達とはまた別に、男友達という存在を持っていたい派だしあまり大きい声ではいえないけれども生まれたのが娘ではなく息子でよかったとも思っている。もちろんというか当然というか両者とも性的な対象として見ているのではなく、また性欲由来でわたしに対して優しくしてくれるからでもなく、ただ、自分とは違う性ゆえに、争わなくても競わなくても比べなくても遠慮しなくてもいい相手ゆえに楽なのだ。

もちろん中には張り合ってくる男性もいるし、逆に邪念なしで付き合える女友達もいる。だから性別は関係ないといえば関係ないけれども、女性だけでいると楽な一方で、男性がいたほうが自然な状態のようで落ち着く。高校は共学だったのだけど、大学は女子大で、入学式の日に女ばかりがずらりと並んでいるのをみて「なんか気持ち悪い」と思ったことを今でもはっきりと覚えているから、そういう性質なのだと思う。

が、これがあと数年で劇的に変わるとしたら、それはそれで人間ってホルモンにマジで振り回されるんだと諦めるしかないわけで、そういう日は本当に来るのか。出産直後のクライシスを経験したがゆえにそういう日が来ることもまた否定できないこともあって、いま恐々としている。

Text/大泉りか