結婚相手にふさわしいのは?“正しいとされること”にじわじわ圧殺されていく『おいしいごはんが食べられますように』

このコラムで何回か言っているように、私は料理のレシピ本が苦手である。純粋に料理のレシピだけをちゃちゃっと伝えてくれるやつならいいんだけど、なんだかんだでライフスタイル、暮らし、そして人生への「著者の思想」が入り込むことが多いからだ。「味噌汁の出汁は顆粒だしではなく昆布からとるべき。前の晩から水に昆布を浸しておくだけでいいのだから、そんなに難しいことではない」とレシピ本は書くけれど、いや、それ超面倒くさいからね! 

たしかに「一手間」ではあり、分解すると1つ1つはたいしたことのない作業だが、他にもいろいろやることがある中で前の晩から昆布を浸しておくのは大変なのである。さらに言えば、舌が肥えている人は「やっぱり昆布から出汁をとると美味しいね」と思うのかもしれないけれど、こちとらバカ舌なので味の違いなんてわからない。というわけで、私は味の素をガン入れするリュウジさんのレシピが好きです。

そんな中、芥川賞を受賞した高瀬隼子さんの小説『おいしいごはんが食べられますように』を読んだ。タイトルからすると私が苦手とする「丁寧な暮らし」を推している小説かのように思えるのだが、本書はその逆。この小説は、「丁寧な暮らし」がある種の人にとっていかに強迫的であるかを、克明に描いている。

おいしいごはんが食べられますように/高瀬 隼子 (著)/講談社

結婚相手にふさわしいのは「にこにこしてて優しい感じの人」

『おいしいごはんが食べられますように』の主要登場人物は3人。料理上手で容姿もかわいいけれど、少し病弱なところがあり、会社を早退することが多い女性社員の芦川。その芦川が早退した分の仕事をフォローする役目をいつも負わされてしまう、同じく女性社員の押尾。そして、本当は食べることが嫌いだが平均的な異性愛主義の価値観を持つ、男性社員の二谷。

なお、芦川と二谷は交際中だ。芦川は毎週のように二谷の家に来て、「ちゃんとしたものを食べてくださいね」などと言いながら、手の込んだ晩ごはんを作る。しかし食べることが面倒な二谷は、その忠告を内心どうでもいいなと思い、芦川の見えないところでカップ麺に湯を注ぐのだ。

一見すると、料理上手で丁寧な暮らし志向の芦川と、食べることにそこまで重きを置かないニ谷の男女としての相性はあまり良くなく、ワンナイトならともかく結婚なんて考えられないのでは? という気がする。しかし、二谷は芦川との結婚をわりと真剣に検討している。平均的な異性愛主義の価値観を持つ二谷は、自分が相手のことを本当に好きかどうかよりも、どの相手と結婚するのがいちばん無難で穏当かを重視しているからだ。

二谷は妹にも、芦川と付き合っていることを「兄ちゃんのことだから、どうせまた、自己主張が少なめでにこにこしてて優しい感じの人なんでしょ(p.125)」と言われる。本能的な部分では「丁寧な暮らしを強要されたくない」と芦川を嫌っており、彼女の手作りのお菓子だってゴミ箱に捨てているのに、結婚は検討している。このアンバランスさが、この小説の「嫌な感じ(褒め言葉)」につながっている。