男性向けのエロ表現を輸入している

世にはびこるポルノコンテンツはミソジニーの権化であり、女性搾取なのか。ここで本格的な議論をすることは避けるが、1つ言えることとしては、女性向けとはいえ日常的にポルノコンテンツを摂取している身からすると、男性向けのエロ表現を必ずしも敵視はできないということである。なぜなら、「わからせ」や「おにロリ・おねショタ」、あとは壁に尻がハマって抜けないやつなどなど、女性向けポルノはわりと気軽に男性向けポルノの表現を輸入していることを知っているから。もちろん、女性向けポルノは脱危険化が鍵なので同じ「わからせ」でもちょっと違うのだけど、しかしネタ自体を輸入している女性は同人誌即売会に行くとけっこう普通にいる。

二次創作をする同人女たちには不思議な連帯感があり、実社会ではなかなか難しい「年齢、未婚・既婚、世帯年収、国籍、地域」を超えるごった煮コミュニティを形成している。なぜそんなことが可能なのかというと、もしかしたら、「我々は互いのエロ本を読み合っている」という後ろめたい告白がそうさせているのかもしれないと、ちょっと思った。

本書にあるように、ポルノコンテンツを摂取していると、自分が「無垢でもなんでもない存在」であることを実感する。性差別について議論するとき、自分が加害者になる可能性を視野に入れないことはたとえ女性であってもナンセンスだ。エロ本をよく読む人も、ぜんぜん読まないという人も、ぜひ本書を手に取って、セクシュアリティについて語るとはどういうことかを一度考えてみてほしい。

Text/チェコ好き(和田真里奈)