私はその日を境に喫茶店へ行かなくなった「行きつけのお店が欲しい問題」

行きつけのお店がある人が羨ましい

駅から自宅までの帰り道の途中に、小洒落たカフェがある。
小洒落たカフェは決まって白を基調としており、喫茶店とは違い、座り心地の悪い椅子が置かれている。あれではお尻が痛くなってしまうのになぜどこも硬い椅子なのだろう? 不思議だ。

話を戻して、そのお店の前を通るたびに私はどんな人がお店の中にいるかチェックしてしまう。
大抵自分よりも1個か2個くらい下の世代と思われる人たちで賑わっている。
おそらく彼らは常連で、あらかじめ日時とメンバーを決めた上で来ているのではなくて、グルーヴというやつであのように集っているんだろう。お店の人ともともと知り合いだとか、気まぐれで入ったらお店の人や他のお客さんと気が合って通うようになったとか、そういうやつだ。(それをグルーヴと呼ぶのかは知らない……)
夜になるとバーの顔になるらしい。店内は怪しいネオンの光を放っており、昼間よりもむしろ活気にあふれている。店内はクラブミュージックたるものが流れているに違いない。

行きつけのお店がある人というのが、近頃羨ましい。
私も今の町に住み始めて最初のうちは近くの喫茶店によく通っていた。タバコが吸えるし、おばあちゃんが一人でやっていて気楽だったからだ。情けないが若い人より老人の方が緊張しなくて済む。
毎日のように通って、ついでにお菓子をテイクアウトで買ってるうちにだんだんとおばあちゃんがサービスしてくれるようになった。クッキーをおまけでもう一袋くれたり、パン一斤をくれたり。生まれて初めて行きつけができた気がして、嬉しかった。
ある日、おばあちゃんの長話に付き合っているときに「静岡出身なの? 干物が美味しいでしょ、干物ちょうだいよ」と言われたことがあった。
……私はその日を境にして喫茶店へ行かなくなってしまった。

喫茶店から足が遠のいた理由

なぜか? 干物が欲しいと言われたからだ。
干物をお土産に買うことは全然いい。でもそれを持ち運ぶときに干物が痛まないかという不安がある。(保冷剤を入れればいいだけの話なんだけど)
そもそもすぐに実家に帰れるわけでもないし、かといって干物無しでお店に行くと「干物持ってこなかった人」になってしまう。どうもそこに罪悪感を覚え、お店に行くモチベーションが下がってしまう。
おばあちゃんはパンをまるまる一斤くれたのに、私はお返しに干物の一つも持ってこれない若造……。

途端お店に行きづらくなってしまった。
今でも前を通るたびに心の中で「おばあちゃん元気かな? ……干物持ってこれなくてごめん」と懺悔する。
気にせず今度実家に帰ったときに干物を買ってきて渡せばいいだけなのかもしれないけれど、半年近く顔を出していなかったので気が進まない。
きっと私のような若造よりも年の近い人と話す方がおばあちゃんも楽しいだろうし気楽だろう。なんて思うと、ますます足が遠のく。
な〜んて言うけれど、結局のところ私はめんどくさいだけなのだ。薄情な人と思われるのを恐れ、あれこれ色々考え過ぎてしまう繊細さんを演じているだけ。ただ単にめんどくさいのだ。私はそういう人間なのだ。