自分以外の人間がキラキラして見える
こんな人間が行きつけの店を作ることは難しいに決まってる。
おばあちゃんの喫茶店に限らず、なぜなのか顔を覚えられると急に行きづらくなってしまいがちだ。
行きつけの店で友達を作ることも当然、叶わぬ夢。
言うほど友達が欲しいか? と問われると、正直よくわからないのが本音だ。
羨ましいとは思う。複数人で集ってわいわいしている姿はシンプルに楽しそうに見えるのだ。不思議なことに、なんだか自分よりも人生が楽しいように感じられてしまう。
それになんだかイケてる気もしてくる。
大変失礼だしくだらないというのを承知で書くけど、喫茶店のおばあちゃんの長話に付き合う私よりも、おしゃれなカフェのロン毛の店員と会話をしている方がなんかかっこいいじゃないか。
いや。
でももし、若い子が喫茶店のおばあちゃんと仲良く話し込んでいるのを見かけたら?
多分かっこいいと私は羨むだろう。
私は自分以外の人間がキラキラ輝いて見えがちみたいだ。
そう考えると、近所の喫茶店でパンを一斤もらったお返しに干物を贈るのってもしかして粋なのかも。
…いや、いちいち何かにつけてダサいかイケてるか気にして生きてるところが私のだめなところなのだ。自己中心的すぎるし、自意識過剰で非常識。
素直にそうしたいならすればいいのではないか。めんどくさかったらしなければいいだけの話ではないか。
というわけで、次実家に帰ってきて干物のことを覚えたら土産にすることにします。
Text/oyumi
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