性は下品な下ネタだと思っていた――。三大欲求のひとつの幸福として、性の話をしていくべきなのだ

by CURVD®

先日、友達と飲んでいたとき、隣のテーブルの男性4人組があからさまな下ネタで大盛り上がりしていて気が滅入った。あいつを狙ってるけど付き合うまでじゃないとかTinderで出会った行きずりの女と寝たとか。そういう類の話をゲラゲラ笑いながらしていて、どうしても耳に入ってしまって気分が悪くて狼狽した。

私は、かなり下ネタが苦手だ。できれば話したくないなと思う。前回の恋愛の話に通ずるが、下品な下ネタしか出ない飲み会は基本的に価値観が合わないし、話せる話題が少ないからだと思っている。なんとなく共通の話題として、場の雰囲気だけを見れば盛り上がっている感じも出せる。お酒の力を借りながら。

こうしてAMで長々と連載を持たせていただきながら、私はできるだけ下ネタを避けて通ってきた。基本的にしない。仲のいい友人も私の恋愛の話をすべて知っている人はいないし、自ら話そうとは思わない。けれど、最近はちょっと違っていたのかも?と考えるようになってきている。そういう意味では私も社会に揉まれて変化しているのかもしれない。なので、今日は男女を取り巻く下ネタとセックス、性欲の話を私なりにします。

下品なことではなかった

そもそもなんで下ネタが苦手なのかというと、男性に消費されてしまう部分が大きいと認識している。私は自分の性別が好きではないし、そこまで経験が豊富ではないことも関係していると思うけれど、男女の集団に自分が存在するとき、話題が下ネタに振り切れてしまうと、それはコミュニケーションではなく「抱けるか?抱けないか?」の品評会のようになる。それが苦痛でたまらなかった。さらに言えば、私は女性としての能力が異様に低いため、その品評会で結果はともなわない。大体笑いの対象としてオチに使われてきた。その点も、自分が生物として劣っている部分を直視しなければならず、苦痛に拍車をかける。

性行為なんて、自分が心の底から女なんだと思い知らされる最悪の行為なのだと思っていた。お前は非力で男に従うしかないんだよと行為を通じて言われているような気がした。なんとか自分なりに抗って落としどころを見つけていきたい部分ではあるが。そういう価値観を持っているので、生活の中心が恋愛にある女、自慢げに経験人数を公開する女、アブノーマルプレイを大っぴらに話す女などが苦手だったし、どこか軽蔑していた。過去の私は。

でも、それでいいんでしたっけ?性行為そのもの/性行為を好きな女に嫌悪感を抱いたままでいいんでしたっけ?と今は思うんですよね。

必ず男性から誘わなければいけない。女性から誘えば下品とされる。男性から誘われたら無下にしてはいけない。行為の途中で断ってはいけない。男性がその気にならないのは女性自身に魅力がないせい。女性には性欲がなく、自慰行為はしない。恋人以外と寝てはいけない。行為中はそれなりに演技をしないといけない。女性は男性の浮気を許さなければならない。そもそも女性は性的な話をしてはならず、でも振られたら少しの恥じらいを伴いながら答えなければならない。……そういう性に関する無数の固定概念が、男性よりも女性のほうが劣っているかのように私の目には映っていた。世の中の男性が考えるような女性でいなければならないし、弱い存在でなければならないと。でもそれは、私の思う理想ではないし、自分のなりたい女性の姿は一切ない。

本当は、女性から男性を誘ってもいいはずだし、女性にだって性欲だってあるし自慰行為もする。恋人以外としたっていい。下品なんかじゃない。方法はわからないけれど、それを普通にしていくべきなんじゃなかと思う。男性だって、自分から義務のように誘わなければならないことに対して苦痛を覚えることもあるという。何かしらの性被害に遭ったとき「羨ましい」「別にいいじゃん」と言われたことがある男性も身近にいる。女性からの誘いは絶対に断れない。男らしくないから。でもそれは正しい姿ではないように思う。

性的同意に関していえば、しっかり取るべきであるし、少しでも嫌な気持ちがあれば拒否したっていい。そこには性別は関係ないだろう。そういう意味でも、もっと平等かつフラットになっていかないといけないのではないか?とようやく考えられるようになった。