「信仰」を頭ごなしに否定しないようにしたい

スピリチュアルセミナーだって旅行だってドラム式洗濯機だって等しく「信仰」だ――と冒頭で書いたけれど、とはいえ宇宙のパワーが云々とかいうセミナーに大金を払おうとしている友人が身近にいたら、私は「大丈夫?」と声をかけはするだろう。ただしそのときに、「その人にはその人にとって大切なものがある」ということを忘れないようにしたい。その人の「信仰」を頭ごなしに否定しないようにしたい。主人公がやたらと「原価」にこだわるのも、幼いときに「原価いくら?」と疑問を持って、それが周囲の大人に「しっかりしている、頭がいい」と褒められたことが原体験としてあるからだろう。

『信仰』は、「最近親がネトウヨに染まり始めている……」などという声が周囲でちらほら聞こえ出した私たちの世代が読むと、けっこう思うところがあるはずだ。

それとは別に、今後私たちの社会はますます、『信仰』が描く世界に近づいていくような気もする。新聞社が提供するニュースではなく好きなYouTubeの番組やTik Tokから情報を摂取するようになり、それぞれが発信する情報がまったく同列のものとして扱われる世界になっていく気がする。そういう世界になったとき、自分がどういう振る舞いをすればいいのか、私はまだ答えを見出せていない。 

Text/チェコ好き(和田真里奈)