スピリチュアルも旅行もドラム式洗濯機も等しく「信仰」だ――「効果があった!」と信じる姿勢に気づくこと

効果があったことに気づいて驚く女性のイメージ画像
by Jon Tyson

以前この連載で、「太宰治『待つ』を読んで、スピリチュアルグッズに使う年間予算は5万円までと決めた話」というコラムを書いた。ここに書いた考えは今でも変わっていなくて、パワーストーンやスピリチュアル系のセミナー等に傾倒しすぎないほうがいい気がするけど、年間5万円くらいを占いなどに費やすことで気持ちが落ち着くならいいんじゃないのと思うし、しかし年間10万円まで行ってしまうとちょっと心配だなともいまだに思う。

一方で、私は年間50万円くらいをポーンと旅行で使う人間でもある(というか、今年こそは使いたい)。

なぜスピリチュアルグッズは5万円までしかだめで、旅行は50万円までOKなのか。もちろん、それらしきことはいくらでも言える。が、村田沙耶香さんの『信仰』を読んで、それは私が「スピリチュアル」を信仰しておらず、「旅行」を信仰しているからなんだよな……という話に、結局はなってしまう気がした。

さらに言えば、世の中には「旅行」など信仰していない人のほうが多いので、あるところに行けば年間50万円を旅行で溶かす私さえも、異常行動野郎に見えるだろう。そしてその人はと言えば、ブランド物のバッグを30万円で買っているかもしれないし、ドラム式洗濯機を買っているかもしれないし、家を買っているかもしれないし、資格を取るために何かの講座に通っているかもしれない。そういうわけで、今回は村田沙耶香さんの『信仰』の話です。

高いお金を払ったら、新しい世界に行ける

村田沙耶香さんの短編集『信仰』は、表題作含め8編の小説が収められている。ページをめくっていちばん最初の『信仰』は、主人公が同級生の石毛に「新しくカルト始めない?」とファミレスで声をかけられるところから始まる。アラがありすぎる石毛の話を主人公は馬鹿にするが、一方で、同席している斉川さんのことは気になってしまう。

斉川さんは以前マルチ商法の浄水器を周囲にすすめまくっていたことがあり、主人公と石毛に「リベンジしたい」と語る。極度の現実主義で、いつもやたらと「原価」を気にし周囲の人たちに鬱陶しがられてしまう主人公は、「自分を騙してほしい」と斉川さんの主催するカルトセミナーに10万円を出して参加する。自分も何かを信仰できるようになりたいと、主人公は思っている。

ただし一応参加前に、10万円という金額設定は高すぎないかと主人公は斉川さんに口を挟む。

「私、騙されたことがあるからわかるの。高い方が、信じてしまうの。高いお金を払った自分を否定されたくないし、それに、背伸びして頑張ってお金を払ったほうが、これは特別な体験なんだって感じられて、新しい場所へいくことができるから」(p.24-25)

それに対する斉川さんの答えがこれだ。この感覚は、私もわからないではない。高いお金を出したほうが何かが確実に変わるような気がするし、実際はたいして変わっていなくても、お金を出したことを否定したくないので「変わった! 効果があった!」と無理やりこじつけて納得しようとしてしまう。そういうことって誰にでも覚えがあるはずだ。