太宰治『待つ』を読んで、スピリチュアルグッズに使う年間予算は5万円までと決めた話

人間はいつだってどこか不安なのだ

by ZSun Fu

トランプ大統領の支持者たちが、アメリカの連邦議会議事堂を襲撃した事件の一連の報道を見て、つくづく考え込んでしまった。私自身、雑誌「ムー」系のオカルト話や陰謀論が大好きだし(だって古代文明とかUMAとかで夢を見ていたいじゃんね!)、占いとか神社とかパワーストーンとかに救いを見出さなきゃやってられない時期だって、まあ長い人生にはあるだろう。だから、そういう科学的根拠のないものをすぐさま「悪」に結びつけなくたっていいじゃんと思っているんだけど、それにしたって、人はどこまで、根も葉もない噂や陰謀論やスピリチュアルなことを信じて行動してもいいのだろうか。

年間十数万かけて、占い師に助言を求める30代の未婚女性。胎内記憶のセミナーと反ワクチン思想に傾倒するお母さん。オンラインサロンに大金を費やしてビジネスの成功を夢見る男性たち。ネトウヨ化する高齢者――と、他人事みたいに書いたけど、私だっていつどこで何のスイッチが入るかわからない。年齢も性別も国籍も、未婚も既婚も子供の有無も、すべての属性はまったく関係なく、人間はいつだって必ずどこか不安なのだ。不安だから、科学では説明しきれない何かに頼ってみたくなる。スピリチュアルな何かが、たとえ気休め程度だとしても、心を救ってくれるときがある。でも、少しでもバランスを崩して不安が大きくなりすぎると、大口を開けて狙っている誰かの餌食になってしまう。

コロナの流行もまだまだ終わりが見えないし、こんな世の中なので、陰謀論やスピリチュアルなあれこれにハマる人は、今後さらに増えていくかもしれない。

「私」は誰を待っているのか

この、何かにハマる一歩手前のビミョ〜な不安について書いてあるのが、太宰治の短編『待つ』ではないかと私は思う(『待つ』は青空文庫か、もしくは新潮文庫の『新ハムレット』の中に収められている)。

『待つ』はたった3〜4ページのめちゃ短い小説なのであらすじというほどのものもないんだけど、主人公の女性「私」が、駅で誰かをただひたすら待っているという話だ。誰を待っているのかは、自分でもよくわからない。でも、とりあえず待っている。春のようなものを、ぱっと明るい何か素晴らしいものを。駅を行き交う人々を、あれでもないこれでもないといって見送りながら、それでも毎日誰かを迎えに行く。

一体、私は、誰を待っているのだろう。はっきりした形のものは何も無い。ただ、もやもやしている。けれども、私は待っている。(中略)私の待っているのは、あなたではない。それでは一体、私は誰を待っているのだろう。旦那さま。ちがう。恋人。ちがいます。お友達。いやだ。お金。まさか。亡霊。おお、いやだ。

(『新ハムレット』新潮文庫,p298)
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