「そういやアレ、見なくなったな」飲み会でアソコを出す男が減った説

若い頃には当然だと信じていたことが、いくつかあります。年上の男性は誰であれ、敬うべきものだと思い込んでいたことや、自分が何かをしようとするときに親や恋人にお伺いを立てなくてはならないと思っていたこと。気に入らない相手には好き勝手に暴言を吐いてもいいとも思っていたし、階段を昇るときにショーツが見えないようにスカートを押さえるのはダサいとも思っていました。

今は相手の年齢や性別に関係なくタメ語で話してくる人にはタメ語で返すし(仕事の相手の場合は別)、何かする際にはひとりで決めるし、「キモい」とか「ウザい」とか「死ね」といった暴言を正面切っては吐かなくなったし、階段を昇るときには一応スカートの裾を押さえるようになりました。大人になって自由になったことと、不自由になったことの両方があるけれども、自立したと同時に妙なイキリは収って、ほどよい具合に落ち着いたのでは、と自分では思っている。

「そういやアレ、見なくなったな」

それは周囲の人たちも同じことで、それぞれ大人らしい振る舞いをする人が増えて、それはそれでよきことと思うのだけど、だからこその結果として「そういやアレ、見なくなったな」というとあるものに、最近、気が付きました。それは、飲み会でチンコを出す人です。かつては飲み会をすると、5回に一回くらいはチンコを出してはしゃぐお調子者の男性を目撃することがあった。

もちろん時代は変わって、今どき公の場で堂々とチンコを出すのは、セクハラであると糾弾される行為だし、チンコを見せられたくない女性のほうが圧倒的に多いだろうし、わたし自身もいざ出されたら「キモい」「ウザい」「死ね」などの暴言を吐くだろうし(吐くのか!)、さらには男性間の力関係・パワハラで出したくもないチンコを出させられる問題もはらんでいると思うので、チンコを出す文化なんていうのは廃れて当然だと思います。

その一方で、自分に向かって突き勃っているのではないチンコ、性的興奮を目的としない露出でもって、ただただそこに存在しているだけの生のチンコをこの先、目にする機会はなく、「お前のチンコ、実はそんなにいいチンコだったのかよ!」というサプライズや「ちょっwww そのチンコは一体!?」という可笑しみを得ることもないと思うと、なんとなくものさみしい気持ちにもなるのも確かです。時代の選択だから仕方なしと思いつつ呟く、さよならチンコ

Text/大泉りか