日本では「代理母」より「人工子宮」の方が早いかもしれない──桐野夏生『燕は戻ってこない』

実は、代理母出産に興味を持ったことがある。代理母というと、数年前に炎上したファッション誌の対談を思い浮かべる人も少なくないだろう──が、私が興味を持ったのは「産んでもらう」ほうではなく、腹を貸して「産む」ほうだった。なぜ興味を持ったのかというと、ずばり金が目当てである。

心配させないように言っておくと、昔も今も、私は経済的にものすごく追い詰められたことはない。しかし一般論として、この先何があるかわからない(それはみんなそうだろう)。万が一、この先経済的にめちゃくちゃ追い詰められるようなことがあったとして、他人と接触したくない私は風俗業にだけはどうしても就けない。が、大金を得る手段として、代理母出産ならできそうだしやってもいいな〜、と思ったのである。い、いろんな方面から怒られそう。ごめんなさい。

もちろん、これは数年前にアホな頭でポワ〜と思っていたことであり、今はまた考え方が変わっている。何より、年齢的にも国の法律的にも、私がこの生涯で代理母を経験することはないだろう。実現可能性などを無視してあれこれ空想して遊ぶのは私のいつもの癖だ。桐野夏生さんの『燕は戻ってこない』を読みながら、そんな数年前の代理母にまつわる自分の空想を、私は思い出すことになった。

代理母を頼む夫婦を非難するのは簡単だけど

『燕は戻ってこない』の主人公は、29歳で病院の事務をしている派遣社員のリキ。北海道から上京してきた彼女は毎月の生活がギリギリで、14万円の月給ではコンビニで弁当を買うのにも一考が必要なほどだ。そんなリキは同僚の勧めで、副収入目当てでエッグドナーに登録しようと試みる。しかしリキがクリニックに勧められたのは卵子提供のほうではなく、日本ではまだ認められていない代理母のほうだった。提案された額は1千万円。迷ったが、新しい服も買えない、実家に帰省する飛行機代もない、そんな生活から抜け出したい一心で、リキは代理母になることを承諾する。リキに代理母を依頼したのは、裕福なバレエダンサーとイラストレーターの夫婦、草桶基と悠子だった。

草桶夫婦はどうしてそこまで子供を欲しがるのかと尋ねるリキに対して、クリニックの仲介業者である青沼はこう説明する。

「これは私見ですけどね。お金があって、家柄もよくて、お二人とも教養があって、仲がよくて、言うことなしのご夫婦だと言われている人たちが、どうしても子供ができないとわかった時、何かしら不全感をお持ちになるんじゃないかと思うんですよ。(中略)すべてに恵まれているだけに、自分たちにないのは子供だけだ、何とかしたい、と躍起になられるんだと思います」

桐野夏生『燕は戻ってこない』(集英社文芸単行本) p.32

加えて、夫の基はバレエダンサーである。才能が遺伝的に受け継がれることも少なくないダンサーという職業において、基は自分の遺伝子を残したい、子供もダンサーにしたいと願う。金にものを言わせて、リキのような立場の女性から搾取とも言える行為をする草桶夫婦を愚かだと弾劾するのは簡単だ。

しかし悠子の不妊治療のシーンなども含め、小説を読んでいくと、こういった利己的な発想を1ミリも持っていない人はいないのでは、と気づく。もしも今の自分を愚かではないと感じることができているならば、それは運がよかっただけだろう。リキも、草桶夫婦も、ありえたかもしれない自分の姿として想像できる。事実、私はもし日本で認められたら代理母になることを数年前に空想していたわけで、自分がリキのような立場に置かれたら、間違いなく夫婦の依頼を承諾しただろうと思う。