お互い交わらない所で、それぞれの幸福を手に入れればいい。嫌いな女のSNSを見て

「嫌いな女」を見て気づいたこと

by Elena Mozhvilo

嫌いな女が子を産んだらしい。たまにしか開かないFacebookを眺める度に、彼女の投稿が目に入る。特に何かアクションを起こすわけではないが、「ふーん」と思いながら、ホーム画面に戻る。

「いいね!」の数やコメント数がすべてだなんて思っていない。多かろうが少なかろうがその人の本質にはまったく無関係である。それは分かり切っているのだが、彼女の投稿に、全然いいねもコメントもつかないのを見て、「そりゃあそうだよな」「ざまあみろ」と心のどこかで思ってしまった。連絡も取ってないし、今後も会うつもりもない。共通の知り合いが無駄に多いというだけで……。なのに、まだ嫌いな気持ちというか、はらわた煮えくるような気持ちが自分のなかに残っていたのかという事実に結構驚いているのだ。まあ、未だに根に持っている陰湿な自分にも驚くけれども。

誰がどんな生活をしようがそれほど興味がなくて、結婚したいならすればいいし、子どもが欲しいなら好きにすればいい。専業主婦がいいなら、その生き方を支持してくれる人と結婚すればいいし、一人で生きていく決意を持っているならそのための準備をすればいい。全員好きに生きて好きに死ねばいい。他人の生活にとやかく言うともりはない。そんな権利、私にないってわかってる。けれど、私は絶対に、この嫌いな女と同じにはなりたくないな、と心の底から思ってしまったのだ。

それは、「私、女友達全然いないんだよね」と言いながら周囲の女にランクをつけて、自分より低い位置にいる女をどこまでも小馬鹿にする態度とか。とにかく女のなかで一番じゃなきゃ嫌なのに、努力せずに人を蹴落としていく性格とか。恋人をはじめとする男にすべてを頼り切っている態度とか。結婚や誰かに支えられて生きていく前提で仕事を選んでいて、何事にもやる気がない姿勢とか。そうやって彼女が自分を人とを比べてるところが大嫌いだった。今も苦々しい思い出が鮮明に思い出される。

「こんな風に絶対なりたくね」と考えてしまう私って、やっぱり性格が悪いんだな、と再認識したのだ。でも、それと同時に私は私の生活が結構気に入っているのだなとも思う。

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