今年の夏頃からまるで交通事故に遭ったかように沼に落ち、唐突に二次創作の小説を書き始めたことをこの連載で幾度にもわたって書いている私だが(だって、本当にめっちゃ楽しいんですよ!)、二次創作以外も含めた様々な作品を読んだり書いたりしていて、ふと気がついたことがある。どうやら、この世には二種類の人間がいるらしい。一つは、何歳になっても若い頃の衝動や思い出やドキドキを大切に、それを失わないでいようと思うタイプ。もう一つは、年齢とともに変化していく体や心の老いを「それはそれでエモい」と受け止め昇華していくタイプ。
もちろんこの間には無数のグラデーションが存在するわけだけど、この二分類でいくと、私は思いっきり後者だ。うどん派かそば派かみたいな話なのでもちろん優劣はないけど、作家に対して「この人はこっちのタイプだな」と思って読み進めて行くと、作品への解像度が上がることが多い(気がする)。
私は何しろ後者タイプなので、前回紹介した『待っていたのは』も、前々回に紹介した『時は老いをいそぐ』も、若い頃の衝動や理想を失い枯れはててしまった大人の物語だし、この連載全体でも後者っぽいことを語っている。しかし今回は趣向を変えて、前者タイプの物語を紹介させてもらいたい。チャールズ・ブコウスキーの『町でいちばんの美女』だ。
ちなみに二次創作の話をさせてもらうと、前者タイプは本人の実際の年齢に関係なく、自覚し始めたばかりの恋心や初体験のセックスについての物語を書いて(描いて)いることが多い。一方、後者タイプの私は「もしもこのキャラが50歳になったら」みたいな設定で老齢の性愛について考えたり、ある程度経験を重ねたあとの物語を書いていることが多いのだが、二次創作界においてこれはちょっとマニアックな趣向だと思う。界隈のみなさん、いつも私の妙な性癖に付き合ってくれてありがとうと言わざるを得ない。
あらすじを読むとただの胸糞悪い話だけど……
気を取り直して、チャールズ・ブコウスキーの『町でいちばんの美女』は、30作のごくごく短い作品が連なる短編集だ。「何歳になっても若い頃の衝動や思い出やドキドキを大切に」の前者タイプの作品であると私は思っているが、とはいえ初々しさは皆無。10代後半〜20代前半の擦れた性欲や暴力的な衝動を感じる短編が多い。というか、単純に文章の中の言葉遣いがすごく悪い。放送禁止用語がばんばん出てくる物語ばかりである。そんな下品な表現の中にたまにふっと息を呑むような美しい文章が登場するのが不思議であり、ブコウスキーの魅力だと思う。
この短編集の中で私がいちばん好きなのは、『人魚との交尾』。主人公の男性二人が死体運搬車から女性の死体をひとつ盗み、その死体と屍姦した末に海に捨てるという、あらすじだけ書くとただの胸糞悪い話だ。だけど、女性の死体が海に流れていったあとに太陽が昇り、街が起き出して日曜日の朝が始まる――その描写はとても美しいと思う。この男性二人の年齢は作中に書かれておらずよくわからないけど(そんなに若くない気はする)、衝動的に何かをしてしまったあとの虚しさと、そんなことは関係なく朝が来てしまうことのやるせなさに、既視感を覚える人も少なくないのではないか。
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